山口県周南市の徳山高等専門学校女子生徒殺人事件で、被疑者が自殺したことをこのブログで書いたが(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/19291456.html)、被疑者が自殺した時点で実名報道に切り替えた機関と匿名のままの機関に分かれたことが今日の読売新聞朝刊(東京本社版第13版33頁(仙台では))に書いてある。
実名報道に切り替えた理由としては、“鏥深垰猖瓦砲茲蟾浩検κ欷遒鯡榲とした少年法の規定を適用する意味が失われた、学校内で同級生の女子学生を殺害して逃走するという、社会的関心の高い凶悪事件の被疑者である、死刑を科する事が出来る年長少年の事例だから、ぜ駄召抜藜命燭魴悩椶靴新邊誌報道について、「社会の正当な関心事」と容認する判決を出し、そのまま確定している、などが挙げられている。
一方、匿名報道のままにした理由としては、“鏥深圓里茲Δ併慳昭蠻曚函更生に配慮する必要がない少年の死刑が確定した事例とを同列に論じられない、被疑者が裁判で釈明する機会が失われている、が挙げられている。
匿名報道のままにした理由については各自考えていただきたいが(本記事では考慮外とする)、本記事で問題とするのは、実名報道に切り替えた理由についてである。,鉢はわかるが、あとの理由は疑問である。と言うのは、本事件は「社会的関心が高い」、「社会の正当な関心事」だがら実名報道でいいのか疑問だからである。すなわち、(ア)報道を見ている限り、所詮は学校内の出来事だと思うから(異性を殺している、その後誰も殺していないことから判断した)、(イ)仮に「社会的関心が高い」、「社会の正当な関心事」だとしても、被疑者の実名を知ることが本当に必要かどうか疑問だから、である。(ア)と(イ)を一言でいうと、われわれが本当知らなければならないことなのかどうか疑問だからである(今読んでいるリップマン『世論』(岩波文庫)(上)88頁でいう「公的な事柄」ではない)。
なお、昨日の記事では被疑者の情報を可能な限り公開すべきだという趣旨のことを書いたが(第1段落に書かれているページへアクセスしてください)、犯人逮捕という社会的利益と、被疑者の実名を知ることが「社会的関心が高い」として正当化できるか疑問だということは、状況が違うので、矛盾しないと考える。