今日の読売新聞東京本社版第13版1面と社会面31頁(仙台では)によると、全国の公立小学校で、教師への暴力が38%増えて464件あり、前年度からの伸び率がもっとも高かったと言う。ちなみに、「児童間の暴力」は951件、器物損壊は582件、教師や児童以外の人への暴力(たとえば、下校途中での中学生に対する暴力)は21件。
その原因として、「昔に比べ、今の子どもは心が育っていない」、「学校行事が削られ、学校生活に余裕がなくなってきている」(尾木直樹氏)などの原因が挙げられ、珍しく教員バッシング的記事はなかった。
ただ、なぜ、「今の子どもは心が育っていない」と言えるのかは疑問がある。私を含めて昔の子どもが心が育っていたのか疑問だし(今も昔も子どもは未熟でしょう)、なぜ、「子どもは心が育っていない」のかの考察が足りない。その原因らしきもの、すなわち「子どもを放任しすぎる親の責任もある」は指摘しているが、それが正しいとしてもどうして「子どもを放任しすぎる親」が出るのかの考察が足りない。平成不況で、働いている親が仕事に時間をとられ、その結果「子どもを放任」すると言うことは考えないのだろうか。そこで、労働時間の短縮(といっても、残業時間の規制しか思いつかないが)が検討されるべきだろう。
それが出来るか否かに関わらず、教師への暴力を許すとクラスの秩序が保たれなくなるだろう。そこで、教師側に何らかの体罰を認める必要性がでてくるかもしれない(現在は、学校教育法第11条において懲戒処分は出来るが、但し書きで体罰を禁止している)。ただ、そうなった場合、戸塚宏流の無限定の容認ではなく(彼の記事で限定は見られなかった)、アメリカなどで採りいれられている限定的な形式の体罰にすべきである(一例としては竹刀でお尻を叩くことしか認めず、もしそれをした場合、事後速やかに報告するようにする。ちなみにアメリカでは鞭でお尻を叩くことが認められているところがある)。