清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

テロO.K. 展示はダメが 読売流

はてなさんに移籍しての(タイトルもマイナーチェンジ。旧タイトルは「清高の ツイッターでは ダメなニュース」)最初のエントリーは、読売新聞ウォッチ。

 

筆者は紙で読売新聞を読んでいるのだが、2019年8月9日社説「愛知企画展中止 主催する側にも甘さがあった」(以下、「社説」と表記)

www.yomiuri.co.jp



のタイトル、内容の限りでは、テロO.Kと解釈されかねないことを、以下において検討する。

 

まず、あらかじめお断りしておくが、社説には「表現活動をテロや脅迫で封じ込めようとする行為は、断じて許されない。まず、このことを明確にしておきたい」と書いてある。しかし、本エントリーもそうだが、文章一般として、タイトル、文頭、文末が大事なので、そうでないところでいくらエクスキューズしても意味がない。したがって、以下において、タイトルに問題がないことも明らかになろう。

 

戻って、以下において「社説」を引用しつつ検討する。

 

「公的な性格を持つ芸術祭の運営に、問題を投げかけたと言えよう」って、「いわゆる従軍慰安婦を象徴する少女像に対し、『撤去しないとガソリン携行缶を持ってお邪魔する』と書かれたファクスなどが送りつけ」たことがか?テロが問題を投げかけたの?日本は一応自由主義諸国なのだから、そういうことを書いちゃいけないだろうな。

 

「特定の政治的メッセージを感じさせる作品だった」かは主観だから放っておくとして、「不特定多数の鑑賞者が想定される展覧会で、政治性の強い作品を、それを批判する側の視点を示さずに、一方的に展示すれば、行政が是認している印象を与えかねない。作品を不快に感じる人たちの反発をあおる可能性もある」とあるが、「政治性の強い」って誰が決めるの? 「作品を不快に感じる人たちの反発をあおる」って、それは表現行為全てがそうなわけで、それを気にしたら表現行為はまったく成り立たなくなる。

 

「展示作品が物議を醸すことが予想されたのに、反発を感じる人への配慮や作品の見せ方の工夫について、検討が尽くされたとは言い難い」も何も、どんな作品でも反応を究極的には予想することはできないわけで、繰り返しになるが、それを気にしたら展覧会は全くできなくなる。

 

「主催者側の想定の甘さと不十分な準備が、結果的に、脅迫を受けて展覧会を中止する前例を作ったとも言える。その事実は重く受け止めなければならない」って、仮に十分なら脅迫が防げたというのか?もしそうなら具体的に何? 読売新聞が受け止めなければならないことは、表現行為に関していかなる脅迫もしてはいけないということだろう(正当な抗議との区別は難しいが、「『撤去しないとガソリン携行缶を持ってお邪魔する』と書かれたファクスなどが送りつけられた」ことを正当化することは全くできない)。

 

読売新聞の今日の社説は、テロは場合によってはO.Kだが(「公的な性格を持つ芸術祭の運営に、問題を投げかけた」効果があったと認定したので)、展覧会はしてはいけない(「作品を不快に感じる人たちの反発」をすべて是認しているから。テロであってもというのも既述)、というのが結論のようだが、こういうのは地球には向いていないので、廃業しかないんじゃないか?

 

なお、念のため。例えば作品が犯罪や不法行為の場合は、告訴したり、裁判をすればいいだけである。また、「作品を不快に感じる」くらいでは法的保護に値しない場合が多いことも付け加えておく。