清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

芸術家の 責務設けて 妥協かな

www.asahi.com

(2019年10月13日20時44分)によると、「 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」は14日、閉幕する。企画展「表現の不自由展・その後」がいったん中止されたことを教訓に、表現の自由を守るための「あいち宣言」をとりまとめようと関係者らが協議を続けてきた。14日の公表を目指している」という。

 

それはいいが、上記朝日新聞の記事の通りだとすると、疑問が。

 

まず、「鑑賞者は見て聞いて自ら体験する権利がある一方で、来場体験を通して意見や批判を述べるよう努める」のはいい。『読んでいない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール、ちくま学芸文庫、2016。筆者もレビューを寄稿。https://www.amazon.co.jp/review/RYEE8UHOEMLYB/ref=cm_cr_srp_d_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4480097570

)という本はあるが、語るのであれば本は読み、美術品は実際に見るのが好ましいのは言うまでもないだろう。

 

疑問は以下のくだり。

 芸術家は自由な創作活動の権利がある一方で、鑑賞者の見る権利と見たくない権利に配慮し、その芸術表現で問題が生じたら適切なコミュニケーションを取るなど対応する責務があるとする

 

見たくなければスルーすればいいだけというのが原則だが、芸術表現が鑑賞者の法的権利を害しているという場合はたしかに「適切なコミュニケーション」が必要だろう。しかしそういう場合は多くないし(名誉毀損などに限られよう)、その場合はわざわざ書かなくても対応しなければならないから、書く必要はないと思った。

 

最後に、気になったのは以下のくだり。

 宣言は、8月に企画展が中止された際に芸術祭実行委員会会長の大村秀章・愛知県知事が提案。各国政府や人々に表現の自由をアピールする狙いがあった。だが、芸術祭参加作家らが「宣言を政治的なものとしてはならない」と、9月から文言を練り(以下略)

 大村知事の当初の構想って何だったのだろう?そしてそれは「『政治的』」だったのだろうか?