香港の、いわゆる一国二制度の崩壊が懸念されている。以下、ウェブで読める新聞記事を3本示す。
①朝日新聞デジタル「「一国二制度台無し」国安法を非難 日英など27カ国」(2020年7月1日10時46分)
②日本経済新聞電子版「香港国家安全法を施行 一国二制度、崩壊の危機」(2020/6/30 20:29 (2020/7/1 5:31更新)
③日本経済新聞電子版「きょうのことば 中英共同声明とは 香港の「一国二制度」50年保障」(2020年7月1日付)
もちろん、自由主義国の一員である筆者も懸念する。
しかし、歴史をひもとくと(だから、③は全然ダメ)、「一国二制度を守れ!」というのがはばかられる気持ちになる。
筆者の手元にある『要説世界史A』(山川出版社、2013年3月5日発行)p143~の文章を引用してみる。
清朝は18世紀のなかばから西欧諸国との海上貿易を広州1港に限り、高校という独占的な商人組織に貿易をさせる 制限貿易をおこなってきた。18世紀に欧米では茶の消費が急増したため、イギリスは中国から大量の茶を買いつけてヨーロッパに運び、イギリスからは中国へ多額の銀が支払われた。中国への銀の一方的な流出を防ぐため、イギリスはインド産のアヘンを中国に密輸し、中国からイギリス本国に茶や絹を送り、イギリス本国産の綿織物をインドにもちこむ三角貿易を始めた。その結果、1830年代にはアヘンの中国への流入額が中国からの茶の輸出額を上回り、ついに銀が中国からイギリスに流出するようになった。このため中国では銀の価格があがって人々の生活は苦しくなり、アヘンの害毒とともに大きな社会問題となった。
この問題の解決のため1839年に広州から派遣された林則徐は、アヘンを没収して廃棄処分にし、イギリスとは通常の貿易も禁止する強硬策をとったので、イギリスはこの機をとらえて(18。筆者補足)40年、アヘン戦争をおこした。清はイギリス軍に敗れ、1842年、南京条約を結んで、香港島の割譲(略)などを認めた。
(『要説世界史A』p143,144)
現代の視点で見れば、清朝の「制限貿易」(『要説世界史A』P143)も問題だろう。しかし、それに加えて、現在の日本でも禁止されている(刑法第14章)アヘンを密輸入して清朝やその住民を苦しめ、挙句の果てには戦争を起こし、香港島を取っていったのだから、イギリスも非難されてしかるべきだろう。
そういう歴史を知ると、香港の自由は守られるべきも、イギリスやそれに乗っかっている国(①参照)は何なんだと思うのである。