読売新聞2021年6月30日統合版「思潮」を見て目を疑った。
2021年6月30日統合版「私の3編」は、専修大学教授でメディア社会論が専門の武田徹さんが担当しているが、冒頭で、谷口功一さんの「『夜の街』の憲法論」*1の紹介において、
なぜ憲法学者たちは「言論表現の自由」と同じ情熱を傾けて「営業の自由」を擁護しないのか。コロナ禍の中でスナックなどが孤立無援の中で休業、時短営業を強いられている状況を①*2は問題視する。(中略)せめて十分な補償で閉店を回避させなければ、再分配に恵まれずに失業した「ラストベルト」の労働者たちが、救済への期待からトランプ前大統領を支持するようになっていった米国と同じ轍を日本も踏むと警鐘を鳴らす
としている。
しかしそれは、憲法学者が擁護しないことが原因なのではなく、政治の問題である。それなのになぜ憲法学者に八つ当たりするのだろう。谷口さんは上記引用で要約できることを書いたのだろうか?
ところで「なぜ憲法学者たちは『言論表現の自由』と同じ情熱を傾けて『営業の自由』を擁護しないのか」*3とあるが、当然だろ、という見解も可能だし、間違いだ、という見解も可能である。
「当然だろ」の方だが、日本における現状を直視するのが嫌であれば、中華人民共和国を見ればわかるはずである。
「間違いだ」について。筆者の手元にある、芦部信喜『憲法[新版補訂版]』(岩波書店、1999。読者には最新版での確認を乞う)p100ではたしかに
この理論(二重の基準論。筆者注)は、人権のカタログのなかで、精神的自由は立憲民主制の政治過程にとって不可欠の権利であるから、それは経済的自由に比べて優越的地位を占めるとし、したがって、人権を規制する法律の違憲審査にあたって、経済的自由の規制立法に関して適用される「合理性」の基準(略)は、精神的自由の規制立法については妥当せず、より厳格な基準によって審査されなければならないとする理論である
とあるが、コロナ禍における規制であるから、消極目的規制*4であって、積極目的規制*5より違憲審査基準が厳しい(違憲になりやすい)とされる。このことから「『営業の自由』を擁護しないのか」*6という問題意識は間違っているとすることができる。
著者が悪いのか、それとも紹介者が悪いのかは知らないが、もう少し問題点を見極めた方がいいと思った。