昨日、東京地方裁判所で、東京都教育委員会が、入学式や卒業式で教職員が国旗に向かって起立し国歌斉唱するよう通達したのに対し、都立学校の教職員ら401人が都と都教委を相手取り、通達に従う義務がないことの確認や損害賠償を求めた訴訟の判決があり、教職員の国旗起立・国歌斉唱の強制が憲法第19条の「思想・良心の自由」を侵害するという判決を出した。以下、読売新聞2006年9月22日朝刊第7面(東京本社版(仙台では))の判決要旨を引用しつつ、感想を述べてみたい。
1、法的問題を抜きにした感想
そもそも国旗起立・国歌斉唱は入学式などの式典に必要なのだろうか(私は小中高と公立学校に12年間いたが、やった覚えはないし(小学校の運動会ではやったかも)、それで不都合があったわけでもない。もっとも、音楽の授業などでは教えるべきだと考える)。また、それが必要で、かつ通達が妥当だとしても、懲戒処分は重過ぎないか。
2、判決要旨の検討
(1)憲法判断に踏み込むとは思わなかった(1(1)。数字は読売新聞の判決要旨)。懲戒解雇をするわけではないから、内部問題としたり、都教委の裁量の範囲内とすると思った。もっとも、憲法の基本的人権が侵害されているかもしれない事例なので、前記の理屈は妥当でないとは思うが。
(2)1(3)において、職務命令に違反すると停職等の懲戒処分を定めたり、職務命令違反の職員の再雇用を拒否したりして重すぎると判断し、「教職員に対し一方的な理論や観念を生徒に教え込むことを強制するに等し」いとし、教育基本法第10条や憲法第19条に違反するとしたのかな、と思う。
(3)どうも事例は「教職員が国歌斉唱などを拒否した」ものらしい。過去には、国旗を引きずり降ろしたり、父母に不起立などを呼びかけた事例があり、その場合は法的責任があるとされたが、それと比較すると今回の事例は軽いといえよう(裁判は事実認定が大事―教訓)。
3、参考文献を読んでのさらなる考察
(1)判決要旨に「思想および良心」(憲法第19条)の定義がでていなかったが、代表的な教科書(芦部信喜『憲法』)によると、「世界観、人生観、主義、主張などの個人の人格的な内面的精神作用」のことだそうだ。本件の国旗不起立・国歌拒否は「主張」に基づいているので、「思想および良心」の問題と言えないわけではない。
(2)「これを侵してはならない」(憲法第19条)とは、 峭駝韻いかなる国家観、世界観、人生観を持とうとも、それが内心の領域にとどまる限りは絶対的に自由であり、国家権力は、内心の思想に基づいて不利益を課したり、あるいは、特定の思想を抱くことを禁止することができない」(思想の強制ないし思想に基づく不利益取り扱いの禁止)、◆峭駝韻いかなる思想を抱いているかについて、国家権力が露見(disclosure)を強制することは許されない」(思想についての沈黙の自由の保障)を意味する。本件では懲戒処分がされているので(露見の強制ではないので),問題となる。
(3)(2)で「内心の領域にとどまる限りは絶対的自由であ」ると書いたが、本件では不起立、不斉唱という行為をしているから、「内心の領域にとどま」っていないのではないかという疑問があるが、外部的行為(不起立・不斉唱)と「思想および良心」を切り離すのは不適当だし、仮に切り離せても、その趣旨は「思想および良心」の規制と解せられるので、思想に基づく不利益取り扱いの禁止だと思う(佐藤幸治『憲法』)。すなわち、憲法第19条の「思想・良心の自由」の侵害と解することができると思う。
参考文献
芦部信喜 『憲法(新版補訂版)』 岩波書店
同 『憲法学型邑各論(1)』 有斐閣
佐藤幸治 『現代法律学講座5 憲法(第3版)』青林書院
読売新聞2006年9月22日朝刊(東京本社版)
「日の丸」「君が代」処分事例集(http://osaka.cool.ne.jp/kohoken/lib/khk194a2.htm#20050426)