今日の読売新聞朝刊1面によると、構造改革特区で作られた株式会社LEC大学に改善勧告が出たという。
記事によると、LEC大学は、多くの専任教員が大学で教育も研究も行わなければならないのに、〕夙?擦離謄ストを使い、大学生と予備校生が同じ教室で授業を受けている、∧未了纏?罰櫃瓜?舛如担当の授業を持っていない上、大学での研究活動もしていない専任教員がいる、ビデオを利用した授業で教員がおらず、学生との質疑応答ができないケースがあるそうだ。
はっきり言ってしまえば、所詮LECは予備校だったと言うことだ(私はLECに行ったことはないが、 銑は予備校ならありうることだといっておこう)。昔はさんざん大学を馬鹿にしたくせに(大学の授業だけでは資格試験に受からないといって。それ自体は正しいが)、いつの間にか大学を作って、やっていることは予備校とそれほど変わらない。大学など作らなければよかったのではないか。
本当に大事なのは、大学か予備校かではなく、教育を受けたことで人生にとって何かプラスになるか否かである。LECももう少し予備校であることに誇りを持って地道にやればイメージダウンを防げたのではないか。残念である。
(追記)書いていて気がついたが、LECが大学を作ることの原因の一つは、ロースクールやビジネススクールの設立により、資格試験予備校では生き残ることが難しいということなのだろう。ロースクールなどについて一言いえば、大学の先生ってそんなに偉いのか!ということである(司法試験などにおける予備校の役割はプラスに評価しなければならないところもある)。