富山県警氷見署が逮捕し、富山地方検察庁が起訴し、富山地方裁判所が有罪認定をした2002年の強姦事件の受刑囚が、実は無罪であったそうだ(詳細は今日の読売新聞朝刊1面、社会面30頁(仙台では))
同紙30面によれば、いわゆるアリバイや物証では無罪なはずなのに、似顔絵と受刑囚の自白を重視して逮捕・起訴・有罪判決がなされたそうだ。また、それを国選弁護人が見抜けなかったそうだ。
この事件からは、以下の教訓を導き出すべきだろう。
1 それだけ、刑事裁判の事実認定は難しいということだ。(自白だけでは有罪を認定できないが(憲法第38条第3項、刑事訴訟法第319条第2項参照)、事実の認定は証拠により(刑事訴訟法第317条)、証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる(刑事訴訟法第318条)ことになっているので、自白と似顔絵のほうをアリバイや物証より重視することが違法だとはいえない)。だから、制度を設計するときでも間違いがあることを前提としなければならない。またか、と思われるかもしれないが、この観点から死刑は速やかに廃止すべきだろう。
2 被告人の無罪を見抜けない弁護士よりも、方法に問題があっても、いわゆる「人権派弁護士」のほうがましではないか(もっとも、本件でいわゆる「人権派弁護士」が弁護するとは思えないが)。よく「人権派弁護士」が批判にさらされるが、もし批判するのならば、被告人や依頼者のためにならないという趣旨で批判しなければならない。
3 もし読者の皆さんが万が一被疑者・被告人になったならば、速やかに弁護人を選任し、無罪ならば無罪を勝ち取るように、有罪でも少しでも罪を軽くしてもらえるように(心からの反省を示すべきであるのは言うまでもない)、徹底的に戦うべきである(本件では、受刑囚は取調べでも公判でも罪を認めていた。有罪になると覚悟し、少しでも罪を軽くしようと思ったのかもしれないが、やっていないのならば勇気を持って無罪を主張すべきだったと思う。もっとも、私は被疑者・被告人になったことがないので、捜査機関の圧力がどれほどのことかはよくわからないが、それでも現時点では少しでも戦おうと思っている)。