今日の朝の編集手帳(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080112ig15.htm)
は、DNA鑑定と冤罪が主題だが、おかしな内容だった。
1.まず、この記事に書いていることを私なりにまとめると、
(1)アメリカでは、DNA鑑定で先月までに、200人以上の服役囚の無実(うち死刑囚15人)が判明したり、後で真犯人がわかったケースなどを含めると、この35年間に死刑囚124人の無実が明らかになったりしている(。だから、科学捜査は重要だ)
(2)アメリカでは、被告人が否認している事件では、陪審が事実認定するが、(1)の数字は、アメリカでの誤審が多いことを示すものである。
(3)日本の場合、殺人事件で1審無罪判決が出るのは毎年0.5%程度である。
(4)日本では裁判員制度が来年から始まるが、(3)の数字が変化するのだろうか。変化しても、無実の人が罪に問われたり真犯人が罪を逃れたりする事例が増えるのは困る。
2.この記事のどこがおかしいか。賢明な読者なら簡単にわかるだろうが、あえて指摘する。
(1)アメリカの事例は、科学捜査の重要性を示しているはずだが、陪審制度を出して、陪審が間違える(これ自体は、そういう研究があるので、間違いとはいえない)というあらぬ方向に議論を進めようとしている。
(2)1(3)から、(アメリカと違い、)日本の裁判に間違いがないことを証明はできない(無罪判決が少ないから間違いがないとはいえない)。日本でも裁判官の事実認定の誤りを指摘する研究はある(名前は出せない。聞いたことがあるということ。各自の研究を請う)。また、故平野龍一博士によれば、無罪がほとんどないので、「日本の刑事裁判は絶望である」という。
(3)仮に、1(3)の数字が変化するならば、おそらく無罪判決が増えるだろうから、無実の人が罪に問われることが少なくなるのではないか。真犯人が罪を逃れたりすることはたしかに困るが、無実の人が罪に問われるよりはずっとマシだ(100人の犯人を逃しても、1人の冤罪も出してはならないという趣旨の法諺もある)。
3.展開の強引さ、人権感覚の希薄さ、以上2点により、この記事を書いた人は速やかに「編集手帳」を書くのを止められたし。それが日本、ならびに読者のためですぞ。