清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

死刑はね 問題のある 刑罰だ

光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決が昨日出され、被告人が死刑となった。おそらく、最高裁の上告も棄却され、刑が確定するだろう。

1.まずは、最高裁判決のおさらい(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20060620163659.pdf)。

これによると、高等裁判所の判決が、「殺害行為が計画的」ではなく、「不十分ながらも」、「反省の情が芽生え」ており、「犯行当時18歳と30日」で、「内面の未熟が顕著」で、「これまで窃盗の前歴のみ」などから、「矯正教育による改善更生の可能性がないとは言いがたい」などとして、第1審の無期懲役を維持したが、「各犯行の罪質が甚だ悪質」で、「遺族の被害感情がしゅん烈」で「慰謝の措置は全く講じられていない」ことなどを理由として、「特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかない」として、刑事訴訟法第411条第2号の「刑の量定が甚だしく不当である」として、原審の広島高等裁判所に差し戻したものである(刑事訴訟法第413条)。

上記の最高裁の判断は、『死刑の理由』(井上薫 作品社)に載っている事例を見た限りでは、ありうる判断だし、控訴審の死刑判決は、おおむね妥当だろう。

2.次は、昨日の差し戻し控訴審判決を、今日の読売新聞朝刊6ページに載っているので、その中から気づいたことを書いてみる。

(1)まず、「起訴されてから」差し戻し控訴審弁護団に話すまでも「6年半以上もの間、それまでの弁護人に、(中略)新供述のような話を1回もしたことがないのは、あまりにも不自然」かどうかはわからない。コミュニケーションの問題もあろうし((弁護士という)専門家を使いこなすことが容易でないことぐらい、裁判官は想像すべし(医者に通うときを想起。弁護士が医者より親しくない人が多数だろう))、死刑の選択が現実味を帯びたので、何を言っても同じ(そうでない場合は不利になるので言わない方がいいと判断した)、又は一か八かと思っても(今までの判断に加えて反省をするより、その時から感じたかもしれない事実を言った方が、傷害致死(最高刑30年、刑法第205条、第47条)などになる可能性がある)、不思議はない。

「自分の記憶に照らし、検察官の主張や判決の認定事実が真実と異なることは、容易にわかるはず」と言うのもどうか。裁判官みたいに慣れ親しんでいる者とは違い、検察官の主張がわからないことなどがあることも想像できないなんて。

とイチャモンをつけたが、証拠に基づいての判断が不当だと言うつもりはない。ただ、市井の人が裁判という特殊な状況に置かれるということがどういうことか想像できないのを問題にしたかったのである。

(2)「少年法51条は、死刑適用の可否につき18歳未満か以上かという形式的基準を設けるほか、精神的成熟度などの要件を求めていない。年長少年について、精神的成熟度が不十分で可塑性が認められる場合、死刑の選択を回避すべきであるなどという弁護人の主張は賛同しがたい」。法律はその通りだから司法としては妥当である。しかし、これでいいかは、国民が考えなければならないだろう(ドイツでは、「18歳以上21歳の年長少年」でも、「個人の発達、環境条件、行為の質に応じて、事情によっては少年と同様に扱われる」という。シュリンク『過去の責任と現在の法』(岩波書店)参照)。

(3)被告人「が今回の公判で、虚偽の弁解をし、偽りとみざるを得ない反省の弁を口にしたことにより、死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情を見出す術もなくなった」というのは正しくない。最高裁までの審理を前提とすれば(裁判所法第4条で、最高裁の判断は、この差し戻し控訴審を拘束する)、とりわけ、「遺族の被害感情がしゅん烈」なことと(必死に反省しているつもりでも、手紙も開かない遺族に反省が通ずるとは思えない)、「慰謝の措置」を「全く講じ」なかったことによって、「反省を深め」てもおそらく死刑を回避することは不可能だから(この点から、弁護団批判は無意味)、井上薫流に言えば「蛇足」である(たぶん、井上さんは批判しないだろうが、そうであれば、井上さんの主張は「単なるしゃべりすぎ」ということになろうか)。

3.以上、最高裁、差し戻し控訴審を検討したが、おそらく、この事件で死刑を回避するには(被告人の利益を守るとは、こういうこと)、最初の段階で慰謝の気持ちを金銭で表す(損害は金銭賠償が原則(民法第722条第1項は同第417条を準用))ことが考えられる(要は口先だけではダメだということ。それで回避できるとは断言しないが)。しかし、_甬遒了?磴望箸蕕傾腓錣擦董△修Δ靴覆ても死刑が回避できると判断した(前の弁護士さんは当然アドバイスをしたと思うが)、被告人にお金がなかった、以上2点が推測される(もちろん、真摯に向かい合わなかったこともあるが、それに加えて)。仮に△世箸垢譴弌∋犒困鷲郎ち悗謀用されることが多くなり(アメリカでは、貧困層の死刑囚が多いと聞く)、不公平である。この点からも、死刑という刑罰の問題性が表れていよう。

4.この判決でわかったのは、死刑は被害者の方を傷つけ(仮に死刑がなければ、本件みたいな主張をしただろうか?と思われた方も多かろう(2008年5月13日追記)、特定の人に過酷に働く可能性がある、問題のある刑罰だということである。