清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

識者でも わかってないこと あるんだな

1.気になったので、飽きもせず光市母子殺害事件のことをネタにする。

2.読売新聞2008年4月27日朝刊30頁(仙台では)によると、青山学院大学の准教授が、「選挙権もない少年への死刑には原則反対だとして、死刑にする場合には、4人射殺の少年事件(1968年)をきっかけにした永山基準をラインにしてほしいとした」、「赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまう」から、「永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ」などとブログで書いたところ、批判が殺到し、准教授が謝罪したという(その項目は削除された。なお、J-CASTニュース「「元少年殺されれば遺族は幸せ」 青学准教授ブログに集中砲火」(http://www.j-cast.com/2008/04/24019475.html
もあわせて御覧ください。

他にもいろいろ書いてあるが、光市母子殺害事件に絞って検討することとする。

量刑の是非について論じること自体は悪いことではない。しかし、論じ方がまずかった。理由は以下の通り。

まず第1に、世間では、被害者の数を相当重要視しているようだが、そんなことはない。態様の残虐性、遺族感情、前科、犯行後の情状等なども重要視されるのだ(井上薫『裁判資料 死刑の理由』をご一読を)。

第2に、幼児を0.5人はないだろう。被害者が子供の場合でも逸失利益が認められているのだから(最判昭和39年6月24日民事判例集18巻5号874頁。内田貴民法供p388参照)、間違っている(それ以前に、被害者の方に失礼なのは言うまでもない)。

J-CASTによると、その他にも、間違っているところ、失礼なところがあるように感じた。これでは、批判されてもやむを得ないと私でも思った。

3.今日発売の読売ウィークリーにも、光市母子殺害事件の記事が載っているようだ。これも問題だ。

まず第1に、「「後知恵」で死後レイプ“正当化”した被告(ママ)」とのことだが、それは裁判所がそう認定したにすぎず、実際どうかはおそらく見ていないから断言はできないだろう(裁判所の認定が正しくないという趣旨ではない)。

第2に、「素直に謝れなかったのは誰のせいか」。読んでいないのでアンフェアなのを承知で書くと、大弁護団だと言いたいのだろうが(ある新聞で大弁護団に頼ったことを批判していたことから推測した)、わたしは、ある意味、最高裁第3小法廷の裁判官だと思う。無期懲役を「いまだ被告人につき死刑を選択しない理由として十分な理由にあたると認めることができない」(最判平成18年6月20日(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20060620163659.pdf
)として破棄すれば、死刑は予期でき、その時に急に謝っても「素直」とは取れないだろうからである(「少年審判段階を含む原判決までの言動、態度等を見る限り、本件の罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていると認めることは困難であり、被告人の反省の程度は、原判決でも不十分と評しているところである」(上記判決より引用)からねぇ)。もちろん、無期懲役が確定しても「素直に謝れ」るかは疑問だが、確率論的には、その可能性は高いだろう(日数はあるから)。

4.それなりに有名な人でも、私に言わせると、わかってないで論じているんだなぁ、ということである(私がわかっているということは意味しない)。