清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

アメリカの 死刑について いい連載

2008年6月18日から20日(仙台では)にかけて、読売新聞の朝刊に連載された「再燃 死刑論議」は、アメリカの最新の死刑論議を紹介した、啓発される記事であった。以下、印象に残ったところを、引用しつつ、検討したい。

1.6月18日朝刊6頁 上
(1)「検察側が死刑を求めた被告は、各州の陪審裁判で死刑判決が出ると、「死刑囚」に参入されるが、事件はその後も上級審で必ず審理され、連邦裁にさまざまな再審査も請求できる」という。日本より慎重な審理が確保されているといえよう。

(2)カリフォルニア州の「最高裁では、弁護側が「準備が間に合わない」などとして45回も開廷延期を申請し、いずれも認められた」ため、被害者の父親が、「死刑制度の意味がない」と嘆いているという。なぜ認められないのかを書いてあればもっと良いが(理由があるから開廷延期を認めるわけで、この記述では足りない)、これに比べると、日本の某弁護士の事例なんか、全然問題ないだろう。それにしても、いつかは審理の延期を認めない旨の決定をしないと、被害者の方を無視していると言われてもやむを得ないだろう。それとも、別の背景があるのだろうか(政治的、人種的、その他)。

2.6月19日朝刊6頁 中
つい最近、薬物注射による死刑執行が連邦最高裁判所において合憲とされたと記憶するが、薬物注射も、他の執行方法も、それぞれ残虐性があり、大変のようだ。

(1)まず、薬物注射。「倫理規定で「医師は命を守るべき立場」とする全米医師会の協力がなく、注射のやり方はずさんになりがち」で、かえって苦痛を与えているという現実が、執行停止にまでつながっているようだ。全米医師会の主張も当然出し、薬物で苦痛が少ないとされても、執行のやり方によっては、残虐な面もあり、死刑の問題を解決する決め手にはなっていない。

(2)その他の執行方法について書くと、絞首刑については、「ロープが切れてやり直す例などがあ」り、何回も恐怖を味あわせるという意味で残虐といえる。電気イスも「頭が燃え上がるなどの「失敗例」が問題視された」という。

結論としては、死刑の執行方法に着目すると、残虐でないものは見当たらない、もっというと、死刑自体が残虐性を帯びているものだということである。

3.6月20日朝刊7頁 下
(1)「貧しい人たちはまともな弁護士も雇えず、陪審裁判で負けてしまう」ということは、弁護士次第で過酷な刑になりうるということで、回復可能性がない死刑の問題点の1つといえよう(終身刑を設けるとしても、現行の無期懲役とあまりにも違いすぎると(たとえば、仮釈放なし)、同様の問題が起こりうる)。

(2)人種差別も問題のようだが、それだけでなく、経済的状況も問題がありそうだ。イメージで恐縮だが、アメリカは黒人が高報酬を取れるチャンスが少なく、死刑になりやすそうである(日本に応用すると、経済的に困った人ほど死刑になりやすいことになるが、それがいいことか。もっとも、これもイメージ)。

(3)「冤罪起きても「賛成」7割」という。日本でもそうだが、自分が冤罪になるかもしれないということを想像できない人が多そうである。間違いで死刑にされても仕方がないという判断ならば、それなりに敬意を表するが。

(4)死刑の場合、「収監には、終身刑より1人当たり約100万紡燭かかり、裁判費用も格段に高くつく」そうだが、アメリカの特殊事情なのだろうか、それともどこでもそうか(日本でも、十分なケアのため費用をかけていると聞いたことがある)。

(5)「テキサス州の被害者団体」「の副代表」「は、「命を奪う究極の犯罪を犯したのなら終身刑では納得できない。自らの命で償うべきだ」と言い切」っているが、私とは違い崇高だ。私ならば、物を壊されても、悪口言われても、殺すつもりがなくても、死刑を求めたいことがあるけどな(被害者感情って、こんなものじゃないか?なぜ、殺人など、特定の犯罪だけ被害者感情を全面的に考慮すべきなのだろうか)。ついでに書くと、被害者の方は、回復可能性についてどう考えているのか(疑われる方が悪い?)。