清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

ジャーナリズム 崩壊どうやら ホントかな

上杉隆さんの『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)発売を記念して、力及ばずながら、私なりの「ジャーナリズム崩壊」を指摘しようと思う。なお、ジャーナリズムとは、広辞苑(第4版)によると、「新聞・出版・ラジオ・テレビなどで時事問題の報道・解説・批評などを行う活動。また、その事業(界)」のことである。

1.まずは、今日発売の週刊文春8月7日号の広告(読売新聞2008年7月31日朝刊9頁(仙台では))。

見出しは、『「誰でもよかった」だと、フザケルな』。しかし、「フザケ」ているのは、週刊文春のほうだ。とりわけ、『「甘えてる」人生の達人が若者を叱る』のところ。

佐藤愛子さんの記事の見出しは、「戦前の教育を復活せよ」。しかし、戦前の教育を施しても、不可解な犯罪が起こることは、管賀江留郎『戦前の少年犯罪』(築地書館)を見れば明らか。今時のブロガーでも、こんなふざけた提言はしないな。歳をとって、勉強をしなくなれば、恥ずかしいことでも平気で載せるようになるみたいだ。

曽野綾子さんの記事の見出しは、「犹爐砲燭き瓩砲禄渡働を」。これも無知丸出し。そもそも「死にたい」という人がすべて人を殺すわけではない。また、「死にたい」という人は、うつ病の疑いがある場合がある。仮にうつ病ならば、本当に死んでしまうかもしれないので、「死にたい」ということを聞いた場合は、重労働ではなく、すみやかに専門家などに相談することが重要なのだ。曽野さんは、人の命などどうでもよいと思っている醜い心をお持ちのようだ。

2.今日の読売新聞朝刊2頁(仙台では。東京では7月30日夕刊)「よみうり寸評」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column2/news/20080730-OYT1T00491.htm
も素人レベル。

ナイフを持つことが卑怯なことぐらい、わかってるって。そんなことじゃなく、このような事件が頻発する背景を短いながらも分析してほしいのだ。もっとも、このような分析も慎重でなければならない。そもそもまだ有罪が言い渡されていないから、無罪が推定されているので、寸評も分析の発表も勇み足であろう。それにしても、ヒキョーヒキョーと叫んでいればコラムになっちゃうのだから、日本のジャーナリズムって、本当にアマい。

3.上杉隆『ジャーナリズム崩壊』(前述)を立ち読みした。なぜこの本を立ち読みしたのかというと、「匿名で人を批判するのは日本の新聞だけ」という見出しに惹かれたからである。本当にそうなのか、根拠が薄弱なのかは読者の皆様に任せるが、以下では、この本を立ち読みした感想を述べたい。

匿名批判について載っていたのは、例の素粒子事件。「「死に神」報道」と書いてあるが、「死に神」は報道(広辞苑第4版によると、「社会の出来事などを広く告げ知らせること。ニュース」)ではない。コラム(広辞苑第4版によると、「新聞、雑誌の囲み記事。短評欄」)である。言葉を厳密に使えないのでは、空しい批評にしかならないだろう。

その中では、謝罪するか、きちんと戦うかをすべきであると書いてある部分には好感が持てた。しかし、匿名と絡めたので、すべてが台無しである。すなわち、実名ならば、表現がここまで表現が悪くならなかっただろうという趣旨のことが書いてあったのだが、内容の問題であって、匿名の問題ではないだろう。

そもそも、上杉さんは、匿名表現の重要さをご存じないのではないか。新聞社に所属して匿名は情けないと私も思うが、権力による弾圧などから守られるために、匿名の表現が保障されることは重要なのである。また、事情があって匿名の場合もあろう(ジャーナリズムとは違うが)司馬遼太郎みたいに)。さらに、知る方としては、内容が最重要であって、匿名だから書けるのであれば、匿名で書いたほうがいいだろう(訴訟の場合は、まずは出版社を訴え、その後に調べればよい)。

なお、著者の「日本だけ」という根拠は、アメリカ以外めぼしい例がなかったが、おそらく本当なのだろう。あと、全体的に、朝日新聞を取り上げたページが多いように感じたが、2つの意味でダメである。1つは、単に朝日だけを叩きたいという動機の疑いがある、1つは、朝日だけがジャーナリズムだという誤解を招くということである。

4.以上のように、日本のジャーナリズムは、本当に崩壊しているようだ。