清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

時代から 公表するの 当然だが

大阪府橋下徹知事が市町村別の平均正答率の公開を決めたのに続き(YOMIURI ONLINE大阪府 学力テスト開示…非公表などの11市町村除外」(http://osaka.yomiuri.co.jp/edu_news/20081016kk03.htm
)、茨城県の教育委員長に就任した和田芳武さんが、「全国学力テストの結果公表について」、「市町村にそれぞれの結果の公表を働きかける考えを明らかにした」という(YOMIURI ONLINE「学力テスト 市町村に「公表勧める」」(http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/news/20081018-OYT8T00150.htm
)。

もちろん、情報公開の流れからすれば、当然ではある。

しかし、市町村別の学力テストの結果を公表することにどんな意味があるのか?

下流の予算配分は論外である(在住住民に不利益になる可能性があるから)としても、その他に公表にどんなメリットがあるのだろう。

公表に意味があるとすれば、たとえば、担当の先生ごとの平均点を先生だけが知り、それを指導の改善に生かす(なぜできなかったのか、指導に問題はないか、など)というのでいいのではないか。

親の立場(なったことはないが)からすれば、全国平均と息子の点数を知るだけで十分だから、市町村ごとの平均点の公表に意味があるとは言えない。

そもそも、平均点に何の意味があるのか?できない人間をなくすことが、本人や国家のためになるはずである。とすれば、やるのであれば、できない人間を留年させる、ならびに再試験させるなどのほうがよほど大事だと思うが、いかがであろうか。

なお、最後に一言書くと、以上の展開からすると、和田新教育長の、市町村ごとの「競争原理」には、何の意味も見出せない。