清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

被害者の 参加も実は 難しい

刑事裁判に被害者が参加できるようになったのはご存知の通りだが、昨日は、2件、被害者が参加した公判が東京地方裁判所であった。その模様が、YOMIURI ONLINE「「実刑望む」「立派な大人になれ」…初の被害者参加公判」(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090124-OYT1T00018.htm
(または、読売新聞2009年1月24日朝刊35頁(仙台では))に載っており、上記YOMIURI ONLINEに基づいて検討してみたい(なお、カギカッコ内は上記YOMIURI ONLINEから引用)。

1.交通死亡事故(自動車運転過失致死罪。刑法第211条第2項)の裁判

「「事故現場で手を合わせたことがあるか」と聞く(被害者の。清高注)兄に対し、」被告人「は「仕事で事故現場を毎日通るので、心の中で手を合わせている」と説明。「あなたが考える誠意とは」との問いには、「お線香をあげて謝るしかないです」と答えた」
→「仕事で事故現場を毎日通る」ということは、事故後に退職したわけではなさそうだ。殺意がないので難しいが、退職していないことは驚いた(悪いわけではない)。「心の中で手を合わせている」のは咎められない。停車が交通の迷惑になることがあるし。ただ、休みの時に行くべきだろうが、負い目があったのか。「お線香をあげて謝るしかないです」と被告人は述べたが、「お線香はあげ」たのだろうか(遺族が拒否すればやむないだろうが)。

被害者「の妻」「が「遺族のことだけを考えられる場所、刑務所で罪を償ってほしい」と訴え、最後は裁判官の方を向き、「被告(人)は反省をしていない。実刑を強く望む」と述べた。最終意見陳述で、」被告人「が「(言いたいことは)別にございません」と答えると、妻は目に涙をため、顔を伏せた」
→「刑務所で罪を償」うのがいいかはわからない。仕事はクビになるし、再就職ができるかということもあろう。「(言いたいことは)別にございません」というのもわかる。 崋揃困世韻魯筌澄死なせたのは事実だが、刑務所だけは勘弁して」というホンネがあったとしてそれを言ったら、反省していないことが明らかになるし、◆峽彩浬蠅悩瓩鮟?い泙后廚噺世辰燭ら本当に反省しているとは言いにくいし(反省していないので反省の言葉が軽く出せる、と言うこともあろう)、Cだって安定した生活を手放したくないので、刑務所に行くとは言いにくいのが人情だからである。

2.傷害(刑法第204条)ならびに恐喝未遂(刑法第249条、第250条)の裁判

被害に遭った男性が被告人Aに、、「「人生をやり直し、立派な大人になって戻ってきてもらいたい。(求刑意見で)私が厳しい判断をしたら、私を恨むか」と問いかけ、」被告人A「は「恨みません」と答えた」という。答えは当然だが、もしやったとすれば(被告人には無罪の推定があるのを忘れずに。(世界人権宣言第11条第1項、市民的及び政治的権利に関する国際規約第10条第2項(a)参照)、今後も維持しなければならない。

被告人B「に対しては「なぜ暴力を振るったのか」と尋ね、被告人B「が「就職に失敗し、投げやりになった」と答えると、「投げやりになったら人を殴っていいのか」と強い口調で諭した」という。「投げやりになったら人を殴っていい」わけがないが、「投げやりになったら人を殴」ったりするのも人情。読者としては、過度に被告人を責めるのではなく、社会政策の必要性を肝に銘じるべきだ。

被告人が罪の重さを自覚する効果はありそうだし、懸念される報復の場にもなっていないのはよい。ただ、被害者が何を訊くかは難しいと思った。どちらの立場とも、弁護士との事前の綿密な打ち合わせが必要と感じた次第。