ドイツで、銃を乱射して15人を殺害する事件が起きたたが、その事件の被疑者の性格等が、asahi.com「銃乱射少年は自殺 「敗者」と呼ばれ、無視された青春」(http://www.asahi.com/international/update/0312/TKY200903120060.html)
に載っている。
上記asahi.comによると、「友人が少なく、孤独な状況が少年を犯行に向かわせた可能性もある」、「少年が最近、交際していた女性と別れた」、「少年には友人が少なかった」、「少年は在学時に同級生らに「敗者」とばかにされ、教師にも無視されていたようだ」などの事情があるそうだ。
もちろん、このような状況が殺害を正当化できるわけがない。また、被害者やその知人はもっと気の毒だ。第3に、このような状況に置かれた場合の、精神的な強さが欲しい(友人を作るコツ、人の心を考える、友人がいないことを過度に気にしない、など)。
だが、えてして犯罪の加害者も不幸な人間である場合があることは頭に入れておいたほうがよいだろう。読者の皆様も、幸福な時に犯罪をするかは考えるべきだろう。
最近は、日本でもやっと被害者の権利が重んじられるようになった。まだ不十分とはいえ、それはいいことである。ただ、赤の他人が、被害者の権利とは直接関係ない(被害者の権利=加害者の重罰や罵倒、とはならないから)にもかかわらず、「被害者の気持ちを考えろ!貴様など死ね!」(例)と加害者を必要以上に罵倒するのは嘆かわしい。他人の事件を見るときは、どちらにも事情があるというくらいのほうが、冷静に判断できるのではないか?