清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

死刑がね 酷な事件が 続いたな

裁判員裁判において、死刑判決が2件出た。本エントリーでは、横浜の事件においては、『テレビ大菩薩峠』「横浜電動のこぎり首切り殺人判決要旨」(http://daibosatutouge.seesaa.net/article/169755844.html
石巻の事件においては、『毎日.jp』「石巻3人殺傷:少年に裁判員裁判で初の死刑 判決要旨」(http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101126k0000m040090000c.html
を参照して検討する。

ざっと見たが、どちらも死刑にするのは酷だ、という事件であった。

まずは横浜の事件。残虐な手口は考慮するが、人を殺すのに残虐でないことってあるのか?絞首刑だって息を止めて、場合によっては首の骨が折れるが、それが残虐でない(判例)と言うほうが違和感があるが。

「被告(ママ)は2人とは面識がなく」、「計画性が高い」、「公判で『被害者らを返してほしい。それができなければ、極刑に処してほしい』と述べている」、以上は、量刑を重くする事情になる。

しかし、自首が成立し(ただし減軽は任意的。刑法第42条第1項)、「捜査、公判で、自分に不利益な事実も含めて、包み隠さず真摯な態度で供述して」いる事件でも極刑ならば、是が非でも無罪を求めて捜査・公判が難航するんじゃないか(アメリカで死刑が廃止になった州の理由の一つは、死刑が絡むと裁判が長引き、経済的に金がかかるというのを聞いたことがある)?

また、「被告は前歴はあるが前科はない。暴力団に所属していたことはあるが、覚せい剤事件までは、社会人としておおむねまじめに働いてきた」のであれば、更正するかしないかやってみなければわからないとも言える。

遺族の峻烈な感情を考慮しても、極刑を回避しても悪くはなかったのではないか?

次は石巻の事件。

「2人に対する殺人、1人に対する殺人未遂を含む重大事案で、保護処分の余地はない」かは、よくわからない。

「自分の欲しいもの(元交際相手)を手に入れるために人の生命を奪うという強盗殺人に類似した側面を有する重大な事案」って、ホントか?金がほしいのと女がほしいのって、同じか?生活が苦しければ、女をほしがるのか?発情したら、金をほしがるのか?つまり、同一視できないんじゃないか?

「冷酷で、残忍さが際立つ」→それを言ったら、死刑だって同じなのは、繰り返さない。

「少年は保護観察中」(読売新聞2010年11月26日朝刊13判28面(仙台では)によると、「実母に対する傷害事件」とのこと。ただ、『毎日.jp』の判決要旨によると、、「不安定な家庭環境や母から暴力を受けるなどしたという生い立ち」があったという。ゆえに、保護観察を決定的な事情にすべきではない)など、言うまでもなく刑罰を重くせざるを得ない事情はある。しかし、以下の2点を考慮すれば、やはり、極刑は酷ではないか?と思うのである。

第1に、「実母による指導、監督は期待できない」ということ。やったのは本人なのに、実母の指導、監督を持ち出すのは筋違いだろう。誰かが指導、監督すればいいだけの話で、「少年の更生可能性は著しく低いと評価せざるを得ない」というのは飛躍である。

第2に、犯行「当時18歳7カ月」であること。そもそも18歳未満で死刑を科せない(市民的および政治的権利に関する国際規約第6条第5項参照)のは、18歳未満は保護されるべきだとされるからである。一方、日本では、民法第4条により、「年齢二十歳をもって、成年とする」とあり、選挙権もない。20歳未満は責任がない代わりに、保護されている。このような存在に死刑を科すのは、背理ではないか?成年を年齢18歳にするか、20歳未満の人に死刑に科さないか、どちらかにすべきである。

つまり、どちらの事件も、死刑を科すべきだったかは、疑問である。

なお、ついでだから書くが、マスメディアの報道のトーンは、裁判員の負担を考慮すべしというものである。しかし、裁判員は死なない。遺族は殺されて悲しみ、加害者は死刑で殺されるのである。それからすると、死刑判決を出す裁判員の負担など、大したことではない。文句があるならば、死刑廃止論者を支持・支援せよ。また、裁く負担は、死刑いかんに関わらず同じのはずである。

さらに思いついたので書くが、被害者のことを考えるならば、死刑があるので他のことはどうでもいいとなりかねない。また、被害者も個性的な存在である。だから、被害者を理由とするのがいいか、疑問に思う。
 
*ウェブサイトは2010年11月27日アクセス