清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

強引捜査 批判できない 読売が

朝、紙の読売新聞に、「『検事が委縮』課題に」と題した記事が載っていた。ウェブのYOMIURI ONLINEの「初の全面可視化「検事が萎縮、追及できてない」」(2011年6月14日11時34分 読売新聞。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110614-OYT1T00448.htm
と一部重複するので、YOMIURI ONLINEから引用すると、以下の文章がある。。

「DVDを見た検察幹部らは「取り調べた検事が、誘導や脅迫と受け止められることを恐れて萎縮したためか、十分な追及ができていない」と話す。(中略)「否認事件では自白を引き出すのは難しい」との見方が強い」

つまり、全面可視化の前は、検事は、相当強引な取り調べを行ったということである。

ところで、すでに全面可視化を行っているアメリカでの評判はどうか。

そのために参考になるのは、『アメリカ人のみた日本の検察制度―日米の比較考察』(デイビッド・T. ジョンソン、シュプリンガーフェアラーク東京、2004)と、『なぜ無実の人が自白するのか―DNA鑑定は告発する』(ドリズィン=レオ、日本評論社、2008)であるが、この2冊を読んだ限りでは、可視化は、決して被疑者だけのためではなく、検察側にとってもメリットが多いのである(任意性があるという決定的な証拠を提示できるから)。

しかし、官僚と結託して工作をたくらんでいる読売新聞、紙で見ると、「『検事が委縮』」課題には太いゴシック体の一方、「弁護士は『抑止力』評価」は細い明朝体。前者を強調しているのは明らかである。肝心なのは、今まで相当強引な取り調べを検事がやっていたことなのに(やっていなければ、「「誘導や脅迫と受け取られることを恐れ」」る必要はない)。

それにしても、市民の一側面をあえて見捨てる(被疑者も市民だ)新聞が、発行部数1というのは、不思議だな。読んで紹介する私もそうかもしれないが。