読売新聞2011年10月8日朝刊13版36面「書く 思う フリーの意味」(作者は、「(恒)」)が興味深かったので、検討する。
「元代表の初公判後の記者会見で、問題の土地取引の際に融資を受けた意味をただそうとしたTBS記者を『フリーの記者が優先』と司会者が遮り、元代表も答えずじまいだったことだ」というのは、テレビで見た。これはたしかによくないが、記者クラブ所属記者優先でフリーの人に質問させてもらえない、というフリーの記者の嘆きも聞く(上杉隆さんの本で見た記憶がある。ウィキペディア「上杉隆」(2011年10月8日アクセス。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E9%9A%86#.E3.80.8C.E8.A8.98.E8.80.85.E3.82.AF.E3.83.A9.E3.83.96.E3.80.8D.E6.89.B9.E5.88.A4) に「「記者クラブ」批判」という項目があって、それによると、「「記者クラブ」が省庁などの記者会見を主催し、参加者・質問者を限定している日本の制度を批判している」とある)参照)。つまり、どっちもどっちだ、ということである。
「指名されるフリーの記者から厳しい質問が出ることは皆無」らしい、「(恒)」さんの主観ではある。ただ、これは、読売新聞でもよく見られる(特に、自由民主党の議員さんに質問する場合)、というのは気のせいか。
「こんな会見しか設定できないのは、元代表が、自分に都合の悪い質問に向き合う自信がないからではないか」というのは、半分だけ正解。質問する側に対して信頼がないのも一因なんじゃないか? 被質問者=悪などのバイアスをもって質問し、被質問者の発言を枉げたことはないのか?
「真にフリー(自由)な質問ができる機会を望みたい」は正論で、国民にとっても良いことだ。ただ、記者(や会社)が信頼されないと「真にフリー(自由)な質問ができる機会」は来ない。被質問者を叩くのは結構だが、まずは己の反省が必要かと。人の話を聞きだすのは、双方の信頼があってのことなのである。
この件についてネットサーフィンをしていたら、『田中龍作ジャーナル』「「小沢記者会見」報道のウソを暴く―TBSキャスターの掟破り」(2011年10月8日 12:32。http://tanakaryusaku.jp/2011/10/0002995) を見つけた。読売新聞のエッセイとは別の背景があるようだ。