清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

ガス室送り 支持しちゃったよ 岡村さん

文藝春秋の『日本の論点』というのは、題名通り、日本で問題になっている論点につき、識者が論文を寄稿し、それのみならず、データを提示している本だ。

その2012年版に、全国犯罪被害者の会を設立した、岡村勲弁護士が、死刑は廃止すべきかという論点(74番。p678~)について、「最大の人権、命を奪った罪を償う道は死以外になし―死刑制度を堅持せよ」、という論文を寄稿している。死刑存置は一つの見解だが、トンデモ発言のオンパレードだった。以下検討する。

「前科九犯、、犯歴一五回」(『日本の論点2012』p678)の加害者が身勝手に殺したのに死刑にならなかったのはお気の毒だ。おそらく、「前科九犯、犯歴一五回」が、たいして重要な犯罪ではなかったのだろう。

死刑廃止を主張する人たち「は、死刑は許しがたい残虐行為だといいながら、オウムの麻原や幹部の残虐ぶりの数々、熱湯をあびせ、ガソリンをかけて火をつけ、生き埋めにし、顔かたちが分からなくなるまで撲り、強姦し、そして殺す、奪った金で酒を飲む、その残虐さは絞首刑の比ではないはずだが、なぜか彼らはこれに口を噤む」(前掲書、p679)とし、「刑場だけでなく、酸鼻極める犯行現場写真を公開してこそ、死刑制度是非の判断ができるはず」(同、p679)とする。しかし、どんな形であれ、人を殺せば「残虐」(同、p679)なのではないか? 月刊テレビ雑誌の番組表を立ち読みしたぐらいで恐縮だが(買えよ!という批判は甘受します)、2012年3月中の土曜日(午前または正午)に、BSフジで、FNSドキュメンタリー大賞『罪と罰』を放送する予定がある。その『罪と罰』で、私は、死刑囚の執行後の写真を見た(詳しくは、「いろいろな 遺族の方いて 当然だ」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/50093719.html )参照)。それも「酸鼻極める」(前掲書、p679)といっていい写真だった。私、その他に、映像で、殺されるシーン(もちろんリアルで。海外の映像では殺されるシーンや遺体が映ることは、ざら)を見たが、人が死ぬのはある意味「酸鼻極める」(同、p679)ものだろう。もっとも、これを強調すると、食肉に関わる人に対する差別を誘引してしまうので難しいが、必要性に違いがあるか(食肉は人の生存に必要だが、死刑が必要かはわからない)。

読み進めると、死刑廃止を主張する議員が「説教の手紙を送ってきた」(同、p680)という。これは難しい。被害者遺族に配慮すべきは当然だが、死刑廃止を訴えること自体がダメなんだろうか? 本当は、岡村さんや被害者遺族の方は、死刑廃止は聞きたくないので、させない、と圧力をかけたいだけなのではないのか? 「法務委員会」(同、p679)など、死刑についてどういう政策を採るかの議論を封殺するつもりならば、申し訳ないが単なる抑圧でしかない。状況にもよるが、最低でも政策論議の場で死刑廃止論を封殺する動きは慎むべきだろう(もちろん、死刑存置論も)。もっとも、「説教の手紙」(同、p680)自体の評価が分かれるかも。

「死刑は認めるが、絞首が残酷だというのなら、ガス、麻酔に切り換えてもよい」(同、p680)? 本気か? これ、世界的な問題発言で、場合によっては、『マルコポーロ』同様、『日本の論点』という文藝春秋の書籍が潰されかねないですぞ。すなわち、「ガス」(同、p680)はまずいだろう。第2次世界大戦において、ナチス・ドイツがやった、ホロコーストと同じですぞ(Yahoo!百科事典「ホロコースト」は、http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88/ )。なお、「麻酔」(同、p680)は、命を救う職業の医者が反対するので、実現しないと予想する。

「誤判を避けなければいけないのは当然だが、これは死刑に限ったことではない」(同、680)。しかし、執行されれば、本人は一切刑事補償が受けられないので(刑死の場合はあるが、懲役執行ならば、刑事補償される可能性は、死刑執行より高いだろう)、死刑は特別とみる見方に軍配が上がる。すなわち、死刑廃止の理由のうち、誤判は有力だと考える。

シンガポールで麻薬を密輸しようとしたフランスの青年が死刑になったが、それ以来、密輸が減ったと聞く。違法駐車者を死刑にすれば、違法駐車がなくなることは請け合いだ」(p680)とある。まず、「聞く」では弱い。専門家(弁護士)なのだから、1つの事例だけではなく、もう少し多くの事例を検討しないと。死刑の犯罪抑止力は、経済学者はありと、刑事政策学者はなしとしやすいことにつき、浜井浩一『2円で刑務所、5億で執行猶予』(光文社新書、2009)参照。また、違法駐車の死刑は極論で、刑罰は、犯罪の重さに応じて科するのは、当然である(この程度のことを分かったうえで、岡村さんは議論を展開しているものと思われる)。

「刑罰は、その国の歴史、伝統、文化により生まれるのだから、他国から干渉させるいわれはな」(『日本の論点2012』、p680)いとはならない。そもそも、法制度一般が「その国の歴史、伝統、文化により生まれる」(同、p680)とも言えるし、死刑の問題は人権問題なので「『世界の潮流』」(同、p680)とも言えるからである。後者で言うと、例えば、ミャンマーの軍事政権がある政党を認めなかったのも「その国の歴史、伝統、文化」(同、p680)として認めるべきなのだろうか? 中国のサイト検閲もそうなのか? 

「死刑は少数の重大犯に対する正当な処遇だが、戦争は罪のない人民を大量に殺す。戦争に反対しないで死刑に反対するのは笑止の沙汰」(同、p680)と、小林直樹さんの『暴力の人間的考察』(岩波書店)を引いているようだ。そもそも死刑廃止論者って、戦争賛成者だったっけ? 人が死ぬのは同じだが、論点が違うと思うが。

「欧州では現場射殺が行われ、フランスではジュネーブ条約で禁じられている傭兵に近い精強の外人部隊を持つ。アメリカでは個人が不審者を射殺している」(『日本の論点2012』p681)も、死刑制度の是非とどう関係あるのかわからない。他に死んだり殺したりすることがあるのだから、死刑を認めよ!ということか?

「刑務所に収容されたものは、住居代、衣服代、食費、医療はすべて国費で、難病は専門病院で高額の治療も受けられる。自分の納める税金もこれに充てられることを思うと、被害者はやりきれないものを感じる」(同、p681)。しかし、刑務所で制作した作品は売られ、「売上げの一部を犯罪被害者支援団体の活動に助成して」(CAPIC HP「CAPICとは」(http://www.e-capic.jp/capic.htm )参照)もいる。詳しい会計はわからないが、これからも、死刑よりは懲役刑のほうがいいと思うのだが。

日本弁護士連合会という「強制加入団体が、会員の良心、思想、信条、価値に関する決議は声明を出すのは違法」(『日本の論点2012』、p681)という。岡村さんの論文から推測すると、「死刑廃止、執行停止の集会、運動」や、「ジュネーブの国連機関にまで出かけて、日本政府に対する勧告を求め」(ともに前掲書p618)ることが該当するようだ。ところで、最高裁平成8年3月19日判決の、南九州税理士会事件においては、「たとえ税理士に係る法令の制定改廃に関する要求を実現するため」でも、「税理士会が政党など(中略)に対して金員を寄付すること」は「税理士会の目的の範囲外の行為」と判断された。これと比べると、岡村さんの指摘の事例は「法令の制定改廃に関する要求を実現するため」だけなのではないか? つまり、岡村説は成り立たないのではないか? 

「自分や家族は絶対に安全だと思い込みきれいごとを言う人、それが死刑廃止論者だと私は思う」(『日本の論点2012』p681)と、唐突に根拠のない捨て台詞で終わる。

犯罪被害に遭われることは、岡村さんのような問題ある論文を書くのが制御できないほどのストレスにさらされるのは理解するが、だからと言って岡村説が妥当だ、ということにはならない。

*文中一部敬称略。ルビ省略。