清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

被害者にも 加害者にもね 目を向けろ

読売新聞2013年3月3日朝刊宮城12版29面の番組欄に「放送塔から 被害者や遺族にも目を」(以下、「放送塔から」と表記)が興味深かったので検討する。

 
「放送塔から」で取り上げられているのは、NHK総合で火曜日の22時から放送されている「いつか陽のあたる場所で」(ホームページは、http://www.nhk.or.jp/drama10/itsuka/
)。ホームページによると、原作は乃南アサの『いつか陽のあたる場所で』(新潮文庫)と『すれ違う背中を』(新潮文庫)。これらの本は未読の上に、ドラマも未視聴なので、以下においては、(さ)の文章のみを検討する。
 
ドラマは、「過去の罪にもがきながら、2人は支え合い、前を向こうとする」(「放送塔から」)内容なんだって。
 
「応援する声が寄せられている」(「放送塔から」)一方で、「投書にはなかったが、ネットの感想サイトには『2人が犯した強盗と殺人は、どんな理由があれ罪。物語に共感できない』『現実だったら、心から優しく接することは多分できない』という厳しい意見もあった」(「放送塔から」)という。なぜ「投書にはなかったのか」(「放送塔から」)が不思議だったりする。「ネットの感想サイト」(「放送塔から」)の内容は、ドラマの感想として妥当かはさておき、そんなにおかしな感想とは思えなかったので。
 
「被害者のことも気になる。このドラマでは被害者たちは問題のある人物として描かれている。彼らに強い同情は向かないだろう。でも被害者側が傷を受けるのは間違いない。彼らの周辺はどうなったのかという点が、ふと気になった(中略)犯罪の加害者を描く物語だけに、被害者や遺族に全く目を向けないのには違和感を覚える」(「放送塔から」)というのも一つの見解だが、もしかしたら立ち直る加害者に同情を寄せるための作り方なのかもしれない。もしそうだとしたら疑問が湧くのは当然とも言える。それとは別論だが、現実の事件は、被害者に全く落ち度がない事件もあるが、落ち度がある事件もある。もちろん、だからと言って被害に遭っていいとは絶対にならないが。
 
しかし、逆に、被害者を描く物語(未視聴だが、WOWOWで『なぜ君は絶望と闘えたのか』(門田隆将、新潮文庫)を原作としたドラマをやっていたが、どんな内容だったのだろう。なお、本は未読)で、加害者やその家族に全く目を向けなかったり)、とんでもない極悪人として書いたりするのもいかがなものか、とも言わなければならない。加害者が刑罰に服したり、損害を賠償するのは当然のこととして、加害者の生育や現在の状況はスルーしていいのか(だから犯罪が許されるわけがないが、今後のためにも多少の同情は寄せたほうがいい場合が多い)、加害者の家族が罵倒にさらされるのがいいことなのか(個人責任が原則なのだから家族が罵倒される筋合いはないし、家族が疲弊している場合も多い。鈴木信元『加害者家族』(幻冬舎新書)をご一読)も考えなければアンフェアである。
 
ドラマはドラマで楽しめばいいし、被害者やその家族のことを考えるべきだ。しかし、それと同時に、加害者やその家族のことも考え、たとえば犯罪報道に接した場合は、被害者の立場に立ったふりをして加害者を罵倒するのではなく、事件や関係者の置かれた状況を冷静な頭と暖かい心で見つめるべきだ。
 
*文中敬称略