清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

小林佑基よ 杉田水脈(みお)非難 嫌なのか?

日本の二大新聞、東は読売新聞、西は朝日新聞(発行部数、成り立ちが根拠)。月末には雑誌記事のレビューが載る(読売は最終月曜日、朝日は最終木曜日。なお、他紙は未確認)。

 
今日は最終月曜日、読売新聞は「思潮」欄掲載の日(12版10面)。そのうち本エントリーで検討するのは「論壇誌 9月 「『炎上』頻発 批判の前に熟慮 『内』の嗜好と『外』の発言 区別必要」(以下、①)である。担当は文化部の小林佑基記者。
 
そもそもタイトルがおかしくないか?以下検討する記事の要約になっていないということではなく、「批判の前に熟慮」が。表現する前に熟慮すべきだろう。例えば、杉田水脈さんの『新潮45』2018年(以下は省略)8月号「『LGBT』支援の度が過ぎる」。それに「『生産性』」(p58)という言葉があり、それゆえに非難ごうごうと聞く。「『生産性』」を使えば今までLGBTに興味がなかった人でも噛みつくって。もっとも、全編ダメで叩かれても仕方がないことは、「杉田水脈(みお)でも やらかし『新潮 45』」(https://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/56726073.html
)で書いた。
 
さて本文。「批判を加える前に、まずは立ち止まって自らを省みる必要性を説く論考が目を引いた」(①)って、立ち止まっていない根拠でもあるんだろうか?また、「自らを省みる必要性を説く」ということが批判を抑制する可能性があることを省みないといけないだろう。
 
「公共政策論の藤井聡氏は、座談会「庶民からの反逆」」(『表現者クラリテリオン』(9月号。筆者補足))で、日本には道徳的な『絶対善』があるから、炎上が起こりやすいのだと解説する。絶対善に対する絶対悪を決め、絶対善の立場から匿名で叩く傾向があるという。さらに権力者を引きずり下ろすことに対し、大衆には病理的な執着があるとする。/こうした状況下、自民党杉田水脈(みお)衆院議員が、性的少数者LGBT)について「新潮45」〔原文ママ〕に寄稿し、批判を呼んでいる」(①)という展開がわからない。本当に日本だけなんだろうか?実際は、コトバンクLGBT」(https://kotobank.jp/word/LGBT-192043#E7.9F.A5.E6.81.B5.E8.94.B5
)によると、「もともと欧米などで使われていた言葉で(略)1990年代のエイズ問題を機に連帯し、自分たちをLGBTと呼ぶようになった」(知恵蔵。アドレスは知恵蔵の)、「アメリカやヨーロッパで、1990年代半ばごろからとくに人権に関わる場面で一般的に用いられるようになった呼称」(日本大百科全書(ニッポニカ)。知恵蔵から下にスクロール)である。LGBTに対する否定的評価を許さないことを「『絶対善』」とするならば、どうやら日本だけではないようだ。そんな論文を紹介した小林さん、大丈夫かな?
 
歴史学者の與那覇(よなは)潤氏は、「リベラル派の凋落(ちょうらく)は自業自得だ」(『Voice』(10月号。筆者補足))で、(略)ただ、批判側の中心となったリベラル派の『堕落』と『自己矛盾』も示されたと強調する。なぜなら、同じリベラル派は2年前に『保育園落ちた日本死ね』と題した匿名ブログを取り上げ、『子育て支援には最優先で税金を取入せよ』とのロジックを展開していたからだ。当時、子育て世代への優遇策を主張した彼らが、同性カップルや子供のいない世帯、独身者に配慮する考えを持っていたのかと問いかけ、それを自制する議論を現在、ほとんど見かけないとする」(①)って、そういう話じゃないんだから、当たり前でしょ。事実誤認、LGBTに対する侮蔑も批判されいるのが今回の杉田論文批判である。また、当時持っていなくても批判することをきっかけに持てばいいとも言える。ただ、小林記者のこの紹介も恣意的である。なぜ「匿名ブログ」と書いた與那覇論文を取り上げたのか?年少扶養控除という税制も知らなかったようだ。つまり、子育て支援はずっとあるのだ。なお、一般論として、子育てはお金がかかるものだから、子育て支援自体は合理的だと思う。
 
村田晃嗣(こうじ)さんの「LGBTを政争の具にするな」(『Voice』(10月号。筆者補足))の紹介文もおかしい。「LGBTの話題を取り上げる隠れた真の目的は、『保守』勢力なら人権擁護を語る強大な『リベラル』への攻撃、『リベラル』勢力なら『保守』の政権に対する批判にあると、互いの偽善性を突く。このためLGBTの人権が、二重に侵害されているとした」(①)とあるが、これもよくわからない。『Voice』の10月号に書いてあるんだろうが、勝手に推測されてもなぁ。文章を読んでおかしなところを指摘するとどうして「『リベラル』」への攻撃」や「『保守』の政権に対する批判」になるんだろう?たまたま衆議院議員が書いた文章だというだけでこのように解釈するのは飛躍だろう。
 
最後に「何事にも即応が重視される今、立ち止まるには勇気がいり(略)時代が複雑さを増す中、歩みを止めて熟慮する重要性もより高まっているといえよう」(①)で締めるが、小林記者こそが自分の書いた愚文を「歩みを止めて」(①)書き直す勇気がなかったのが残念である。もっとも、掲載を許した編集部門の人にも言えるが。
 
*タイトル敬称略。
**雑誌の号数につきアマゾンの検索を用いた。
***ウェブサイトは2018年9月24日アクセス。