先日、烏賀陽弘道『フェイクニュースの見分け方』(新潮新書、2017)を読み、Amazonのサイト上でレビューした(「事実をね 見たいあまりに 強引な」。https://www.amazon.co.jp/review/RC6HJGLO9Y7ZW/ref=cm_cr_srp_d_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=410610721X
)。そこで筆者は「著者の観点の違いや紙幅の問題を無視している」と書いた。以下に取り上げるTBS NEWSのきじも「観点」があるのは理解しているが、烏賀陽さんの書いた「フェアネス原則」(『フェイクニュースの見分け方』p155など)から問題があるので、以下において検討する。
そのTBS NEWSの記事は、「【現場から、】平成の記憶、光市母子殺害~遺族の訴え 国を動かす」である(2019年4月15日11時43分。https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3648428.html
)
まず、以前の「裁判での自由な発言や法廷への遺影の持ち込みは許されず、被害者は置き去りにされた状況」(TBS NEWSより)がいいわけがなく、改善されるべきであることは言うまでもない。
しかし、「1審の山口地裁は判例や少年法を重視し、無期懲役を言い渡します」(TBS NEWSより)はまずい。この通りであれば、最高裁の破棄差戻が妥当でなくなってしまうからである。判例や少年法の重視は当然のことのはずだが、あすの会がらみだと思考停止してしまう日本のマスコミの悪弊が出ている話になっている。
被害者団体を作り、その被害者団体が声をあげて、その結果被害者に少しは使い勝手が良くなる司法が実現したとすれば、それは悪くない。
ただ、あすの会関連では、結構批判されても仕方がないのに、TBSをはじめ、日本の主流マスコミ(新聞社と放送のこととする)からは見たことも聞いたこともない。
まず、これはあすの会に対する批判ではないが、「『心情陳述権』」(TBS NEWSより。刑事訴訟法第292条の2と思われる)があるのは当然として、どこで行使させるかは意外と難しいはずである。判決言い渡しの前で本当にいいのか(無罪推定の建前ゆえ。『再検証 犯罪被害者とその支援―私たちはもう泣かない。』(鮎川潤、昭和堂、2010)をご一読)?
次に、これもあすの会に対する批判ではないが、先ほど引用した「1審の山口地裁は判例や少年法を重視し、無期懲役を言い渡します」からは、死刑制度という人権問題に関する批判的考察を放棄してしまっている。犯罪被害者遺族が求めていても死刑を存置していいのか?死刑のデ・メリットには目をつむるのか?TBS NEWSには、例えば死刑が犯罪被害者遺族を癒すという趣旨のことは一切書いていないが、仮に死刑が犯罪被害者遺族を癒すとしてもそれは死刑で癒すべきなのか(死刑があれば他のことをしなくていいのか)?
最後に、あすの会に対する批判がないために、正当な表現が叩かれるという、とんでもないことが起きたことをスルーしている。あすの会の主張は誤読にすぎなかったのに*、誰も的確に非難しないから表現者にとって重大な脅威になってしまった事件である。
あすの会が日本にとって有益な活動をしたのはTBS NEWSを見ればわかる話なのだが、その内容は、解散後であっても詳しく吟味されるべきである。それをしなかったTBS NEWSをはじめ、主流のマスコミが非難にさらされてもやむをえまい。
*「あすの会の 質問状を 検討す~死刑囚 じゃなくて被害者 反論だ(2)」(https://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/43105362.html
)、ならびに「あすの会 ようやく気持ちが 落ち着いたか~死刑囚 じゃなくて被害者 反論だ(4)」(https://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/43725416.html
)をご一読。