清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

読売は 教育わかって いないよう

あらたにす(http://allatanys.jp
という比較サイトがあることを考慮して(?)、まずはasahi.comの記事より。

asahi.com性教育めぐる都議の視察「不当な支配」 東京地裁認定」(http://www.asahi.com/national/update/0312/TKY200903120176.html
によると、「東京都内の養護学校の元教諭らが都議3人と都などに損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁(矢尾渉裁判長)は12日、慰謝料計210万円の支払いを3都議と都に命じる判決を言い渡した」という。

事件の詳細は上記asahi.comで。私はその場にいないし、まだ高裁、最高裁があるので、事件についての見解は差し控えるが、次に取り上げる読売新聞の「性教育判決 過激な授業は放置できない(3月16日付・読売社説)」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090315-OYT1T00982.htm
は、おかしいと思う。以下、そのおかしさを検討したい。

「政治家が教育現場の問題点を取り上げて議論し、是正していくこと自体は、当然のこと」?そうか?自分の信条で教育を捻じ曲げることを全く想定しないのでは、人間ではないな。

「都議らは教員に向かって「感覚が麻痺(まひ)している」などと批判した」→これが不法行為かはわからない。もしかして、もっとひどいことを言った?

「当時は、「男らしさ」や「女らしさ」を否定するジェンダー・フリーの運動とも連携した過激な性教育が、全国の小中高校にも広がっていた」→ジェンダー・フリー自体を知らない人が新聞書いていいのかなぁ。社会的性差からの開放のことぐらい、知らないのかなぁ。また、性教育が本当に過激か?むしろ、今後生きていくうえで重要な知識なのではないか?どの段階でするのがいいのかはわからないが、性教育自体はしないと、望まない子どもが生まれるなど、個人にとっても国にとっても不利益なのだが(アメリカは、保守派の運動のせいか、このようなことが起こっているらしい。もしそうなら、個人は貧困に陥り、国にとっても生活保護費などが増える可能性がある)。

「小学校2年生の授業で絵を使って性交が教えられるなどした」→別にいいんじゃないの?どうせ後で知ることになるんだから。なぜ小学校2年生段階で知ってはいけないのかは考えないと(優先順位が低いということならまだわかるが)。

養護学校では、性器の付いた人形を性教育の教材として利用するなどしていた」「性器の付いた人形が、都内80の小学校で使われていた」→「知的障害のある子どもたちは抽象的な事柄を理解することが困難なため、教材に工夫が必要」なら、別にいいんじゃないの?

「性器の付いた人形の使用まで必要なのか、首をかしげる人は多いのではないか」→現場を見ないで疑問を呈することに私は「首をかしげる」が。

養護学校の学習指導要領解説書は、生徒の障害や発達段階を踏まえ、性に関する対応なども重視するよう求めている」から、「性器の付いた人形」を用いたんじゃないの?

「教育が「不当な支配」に服することを禁止した以前の教育基本法の規定は、日教組などが教育行政の現場への介入を否定する根拠ともされた」→なぜそこで「日教組」?一般論として(「日教組」とは関係なく)、「教育行政の現場への介入」を警戒することが問題とは思わないが(アメリカなんか、ダーウィンの進化論を否定し、旧約聖書に基づいた教育をすべきだという保守政治家(これは、「保守政治家」でなければならない。もっとも、民主党については調べていないが)の運動がある)。

「教育は「法律の定めるところにより行われる」とされ、教育委員会の命令や指導は「不当な支配」に当たらないことが明確にされた」→そうはいかないだろう。ケースバイケースだろう。そもそも、「法律の定めるところ」が、「「不当な支配」に当たらない」かは、疑問だろう。法律が「不当な支配」の手段になりうるのだ。この程度の批判ができないのでは、新聞記者辞めたほうがいいな。

「教育をめぐる問題については、現場の意見を尊重しつつも、広く国民的な議論に基づいて進めていかなければならない」→この社説、どこが「現場の意見を尊重」したの?「国民的議論」が正しいのか?読売流だと、性教育の制限になろうが、そのせいで望まない子どもが生まれたり、生活保護受給者が増えたりしても、知らないぞ。