「清高的 芥川賞 141」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/48965456.html)
に書いたとおり、第141回芥川賞の候補作を全部読んだが、それが載っていた雑誌の一つに、すばる(集英社)2009年3月号があり、そこに、湯浅誠さんのインタビュー記事があった(湯浅誠=宮内千和子「新しい連帯の形が貧困を救う」(すばる2009年3月号p186~194 集英社))。それを検討したい。
「今回は足を引っ張る人がたくさんい」た(p188中)。有名になればこのようなリスクはあるよな。
(たしかに派遣村に集まった人の中に)「ホームレスの方たちもたくさんいました。でも私に言わせれば、それがどうした、ということです。(中略)派遣村は、貧困は派遣切りの問題だけではないことを示せたことに意味があったと思っています。(中略)野宿の問題やシェルターの必要性についての問題を提示できたのは非常によかった」(p188下)→まさにその通りで、とんちんかんな派遣村批判を完全粉砕した出来である。
「自己責任論が不要なのは、それを言っても何の解決にもならないこと」(p194上)→それはそうだ。とりあえず喰えること、寝ること。次は仕事。せいぜい自己責任はその後だろう。
また、雨宮処凛「「弱いものがさらに弱いものをたたく」から脱却できるか~派遣村で感じたこと」もなかなか良かった。
「自分は「派遣切り」被害者なので派遣村で救済されるべきだが、それに「便乗」するホームレスはとんでもない」(p196下)、「「なんであいつら(派遣村にいる人。清高注)だけが優遇されるんだ」(p197)→当事者が苦境に陥り、余裕がなくなって、他人に批判的になるということならばわかるし、非難すべきでないが、そうでない人がこのような問題意識を持っていたとしたら、単に人間味に欠けているだけである。
「派遣村に対する批判として、「ホームレスや日雇いの人もいる」というものもあった。いつの間にか「救済されるべき人々」と「救済に値しない人々」と言う区分けが出来てしまっている。そしてそれが、言語化されないうちに、なぜか多くの人に共有されてしまっている」(p198下)→正当な問題意識であり、区分けは由々しきことだろう。
「元派遣労働者には比較的同情的で、ホームレスには冷たいこの国の人々の反応」(p198下)→当事者なら仕方ないが、そうでない人ならば異常感覚だろう。どちらも困っていることには変わりないのだから。
ここで取り上げた湯浅さんと雨宮さんの文章は、私の見る限り問題点が見つからず、とんちんかんな派遣村批判を粉砕できているといえよう。