清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

読売より 子ども手当が 正しいよ(4)

「読売より 子ども手当が 正しいよ」シリーズ、子ども手当が見直された(所得制限が付いた、その他)のに、まだ続いております。

子育て支援 財源の裏付けある総合施策を(8月20日付・読売社説)」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110819-OYT1T01104.htm
でも、読売新聞は、とんちんかんな主張を続けております。

自公政権の児童手当は、子どもはまず親が責任を持って育てるとの理念から、親を援助するものだった。経済状況や子の数で支給額に差をつけていた」→「子どもはまず親が責任を持って育てる」ならば、子どもがいることにつき何ら金銭的メリットを与えてはいけないが(後述)、それだと低所得者の生活が苦しいので、ということなのだろう。しかし、日本は累進税率を導入しており、低所得者にだけ給付するとなると、高税率の高所得者は黙ってはいないだろう(それ自体は正論)。もちろん、「自公政権」は、それだけでなく、年少扶養控除などの控除を導入している。しかし、これらは、税率が高い高所得者が有利になっており(*で挙げた当ブログの記事参照)、低所得者の子どもを差別する側面がある。つまり、児童手当であれ、控除であれ、どちらも不公平なのである。

民主党は「社会全体で子育てする」との理念を掲げて、家庭の状況に関係なく、子ども一人ひとりに同額の手当を出す、との考え方を採った。/(改行の意。清高注)だが、実際には親に支給されるため、必ずしも子どものために使われるとは限らず、理念と実態が乖離(かいり)したものだった」というが、それなら、今までの児童手当でも「必ずしも子供のために使われるとは限ら」ないだろう。(厚生労働省「児童手当制度の概要 〔平成19年4月1日~〕」(http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/jidou-teate.html
によると、「支給対象」は、「養育している方」。「親」なら「子どものために使われ」なく、「養育している方」なら使われている理由がない)。

子ども手当特措法案は理念や制度の不備を修正している。滞納給食費などを手当から差し引けるようにした」は、どうも、児童手当からの「理念や制度の不備を修正している」もののようだ(「厚生労働省「児童手当制度の概要 〔平成19年4月1日~〕」を見た限りでは)。また、「子育て支援は現金支給だけでなく、保育所の整備などと両輪で進める必要がある」はよしとしよう。

「来年度からの新児童手当も、所得制限で支給対象からはずれた世帯の救済策など、財源とともに詰めるべき点が残されている」は、「子どもはまず親が責任を持って育てるとの理念から、親を援助するものだった。経済状況や子の数で支給額に差をつけていた」という社説の見解と矛盾する。所得があるのだから「援助」の必要がない、と言えるから(私見ではない)。

そもそも、「家族の状況」云々は、家族の問題で、子どもの問題ではない。それからすると、「子ども一人ひとりに同額の手当を出す」というのは、極めてまっとうな政策のはずである。子どもに価値の序列を設けていないからである。所得制限を付けると高所得者の子どもを差別し、控除だと低所得者の子どもを差別するものだからである。

したがって、本エントリーで取り上げた読売社説の内容はダメで、民主党の2009年のマニフェスト通りの政策が妥当だということになる。自由民主党公明党の、政策合理性抜きの妥協要求が、国民にとって本当に迷惑だという話だった。

*なお、以下の記事も参照のこと。

「読売より 子ども手当が 正しいよ」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/51769680.html

「読売より 子ども手当が 正しいよ(2)」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/51829149.html

「読売より 子ども手当が 正しいよ(3)」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/52245639.html

**ウェブサイトは、2011年8月20日現在の内容。