清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

絞首刑 人道的な 刑罰だ?

読売新聞2011年11月1日朝刊(仙台では)によると、「2009年7月、大阪市此花区のパチンコ店に放火して5人を殺害、10人を負傷させたとして殺人と現住建造物等放火罪などに問われた」(13版39面)被告人に、死刑判決が出たという。
 
現在の法体系では、どうということはない(死刑判決は予想された)。ただ、絞首刑の合憲性が争われたので、特異な事件になってしまった。
 
読売新聞2011年11月1日朝刊13版37面(仙台では)に「パチンコ店殺傷死刑 合憲判断の要旨」というのが載っている。もちろん、昭和23年3月12日の最高裁大法廷判決で、絞首刑が「公務員による(中略)残虐な刑罰」(憲法第36条)に当たらないとされたので、合憲判断は当然である。
 
法解釈学的には当然の判決だが、要旨をよく読むと疑問もある。以下、検討する。
 
「死刑はそもそも受刑者の意に反してその生命を奪い、罪を償わせる制度であり、ある程度のむごたらしさを伴うことは避けがたい」としても、「公務員による(中略)残虐な刑罰」と書いてますよ、憲法第36条には。「残虐」でない(「むごたらし」くない)とすればいいのに。
 
「執行方法が特に残虐と評価されるのは、非人間的、非人道的で、通常の人間的感情を持つ者に衝撃を与える場合に限られる」んだって。縄を首にかけ、死刑囚が依って立つ床を外すのは、「非人間的・非人道的で、通常の人間的感情を持つ者に衝撃を与え」ないんだって(「与える」のならば違憲だから)。頭で考えたら、人を殺すことは、「非人間的、非人道的で、通常の人間的感情を持つ者に衝撃を与える」と思うんだけど、首を縄にかけ、依って立つ床を外すのはちがうんだ? ロープで首を絞めるのとそんなに違うのか? 
 
「死刑に処せられるものはそれに値する罪を犯したものであり、執行に多少の精神的・肉体的苦痛は当然甘受すべき」? 憲法の条文からどう導いたの? 「公務員による(中略)残虐な刑罰は、絶対にこれを禁じる」などからどう導くのだろう? 39面に載っている「『多少の苦痛は甘受すべきだという部分は非常に問題だ』」という、後藤禎人弁護士のコメントは正論だろう。
 
ところで、その他に気になったのは、「客だった」(39面)被害者「の次女」(同)のコメント。すなわち、「『死刑の違憲性』が争点になったことについて「遺族が置き去りにされた気がした」と強い違和感をにじませた」という。しかし、被告人の弁護人は、一義的に被害者遺族のために仕事をするわけではないので、仕方ない。
 
光市事件の場合、弁護団は、死刑廃止運動のために事件を利用したという批判を受けた。しかし、このような事実はないらしい(浜井浩一『2円で刑務所、5億で執行猶予』(光文社新書、2009)参照)。私が報道に接した限りでも、死刑の違憲性を主張するなど、死刑廃止論のために事件を利用したという印象は受けなかった。今回の事件は、弁護士の哲学は知らないが、死刑廃止運動のために事件を利用した、という側面を否定できない。しかし、それでも構わないのだ、被告人にとって利益であれば(違憲とされれば死刑にならない)。被害者遺族の言うことだと鵜呑みにしないで、役割を勉強すべきだろう。