清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

意外とね 有能だったよ 弁護団

ご存知の通り、いわゆる光市(母子殺害)事件、最高裁判所の判決は、上告棄却であった(YOMIURI ONLINE「光母子殺害事件、元少年の死刑確定へ…上告棄却」(2012年2月21日03時01分  読売新聞。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120220-OYT1T00751.htm ) 参照)。

判決文は、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120220164838.pdf 。まずは判決文の検討。

目についたのは、「被害者の財布を盗み取って(3)(窃盗のこと。清高注)の犯行に及ぶなど,殺人及び姦淫後の情状も芳しくない」のくだり。(いい意味で)細かい事実認定である。

ただ、「原審公判においては,本件各犯行の故意や殺害態様等について不合理な弁解を述べており,真摯な反省の情をうかがうことはできない」はいかがなものか。理由は2つ。第1に、これでは争うことがリスキーで、真相発見の面で問題がありうる(もっとも、どこの国でもおそらくそうだろう。ただ、たとえば、作家の佐藤優さんの事件、本人は否認したが、執行猶予になった、など、引用した部分は決して決め手にはならない)。第2に、「遺族に対し謝罪文と窃盗被害の弁償金等を送付したこと」を軽視しているからである。なお、後述の、宮川光治裁判官の反対意見によると、「平成16年2月,自ら進んで教誨師による教誨を受け始め」ているという。

ところで、今日の毎日新聞社説の一つは、「光事件元少年死刑 判決が投げかけた意味」(http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20120221k0000m070085000c.html) 。それによると、「今回、宮川光治裁判官が反対意見を述べたことに注目したい」という。私も判決文をざっと読んだが、いい視点であり、反対意見(破棄差し戻しの結論)を検討する。

反対意見の結論をまず。「被告人は犯行時18歳に達した少年であるが,その年齢の少年に比して,精神的・道徳的成熟度が相当程度に低く,幼いというべき状態であったことをうかがわせる証拠が本件記録上少なからず存在する。精神的成熟度が18歳に達した少年としては相当程度に低いという事実が認定できるのであれば,そのことは,本件第1次上告審判決(最高裁平成14年(あ)第730号同18年6月20日第三小法廷判決・裁判集刑事289号383頁)がいう「死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情」に該当し得るものと考える。また,精神的成熟度が相当程度低いという事実が認定できるのであれば,強姦の計画性を含め本件行為の犯情等の様相が変わる可能性がある」。大多数の読者は、何で、と思われるだろうし、以下挙げる点を考慮しても納得しないだろう。私も全面的に賛成はしないが(私見は最後に)、面白い見解だと思う。

いわゆる永山事件において、「最高裁は,犯行時19歳3か月ないし19歳9か月の年長少年であった「被告人の精神的成熟度が18歳未満の少年と同視しうることなどの証拠上明らかではない事実を前提として本件に少年法51条の精神を及ぼすべきであるとする原判断は首肯し難い」として,破棄し差し戻した(最高裁昭和56年(あ)第1505号同58年7月8日第二小法廷判決・刑集37巻6号609頁)。この最高裁判決は,被告人の精神的成熟度が18歳未満の少年と同視し得ることが証拠上明らかな場合に少年法51条の精神を及ぼすことができるかどうかについては,これを否定してはいない」んだって。

それのみならず、「少年法51条1項は,死刑適用の可否につき18歳未満か以上かという形式的基準を設けているのであり,精神的成熟度及び可塑性の要件を求めていないのであるから,精神的成熟度が不十分であるからといって少年法51条1項を準用し死刑の選択を回避すべきであるということには直ちにならない」と指摘したうえで、「しかしながら,「少年司法運営に関する国連最低基準規則(北京ルールズ)」(1985年)は,少年保護の基本理念に基づいて,「死刑は,少年が行ったどのような犯罪に対しても,これを科してはならない」としているのであり(17条2項。「少年」とは,各国の法制度の下で犯罪のゆえに成人とは異なる仕方で扱われることのある児童もしくは青少年である。2条2項(a)),留保的表現がなく,およそ,少年について死刑の選択は許さないという考えが明瞭である。18歳以上の少年に死刑を認める少年法51条1項は,この趣旨に合わない。もっとも,上記北京ルールズは,国連総会で採択された決議にすぎず,法的拘束力はない」と、国際法をきちんと検討しており、深い見識と評価できる。

「本件においては,被告人側から,B教授の「犯罪心理鑑定報告書」(原審弁9号証)とC教授の「精神鑑定書」(原審弁10号証)が証拠として提出されて」いるそうで、「二つの鑑定意見は,被告人が述べることのみによらず総合的に判断しているとみることができるが,相互に関連し合い,前記少年調査記録とも相応している」と、肯定的に評価している。

ところが読売新聞の社説がまたバカなことをやっちゃいました。「弁護方針に問題はなかったろうか」(読売新聞2012年2月21日社説「光市母子殺害 残虐性を重く見た最高裁判決」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20120220-OYT1T01161.htm) 参照)、だって。しかし、YOMIURI ONLINE「光母子殺害事件、元少年の死刑確定へ…上告棄却」(最初の段落で取り上げている)によると、「死刑事件で反対意見がつくのは異例」なんだって。異例の反対意見を被告人側の証拠から導き出したのだから、客観的に素晴らしい弁護だろう。被告人も、己の幸運をかみしめるべきだろう。また、弁護団罵倒は全くのナンセンスで、している人は恥をかかないうちに即座に削除したほうがよい。仮に差し戻しの控訴審弁護団を罵倒する人の意見の通りにしたら、絶対に死刑を回避できたのか? もっとも、被告人の選択の問題で、外からとやかく言うべきでないのは言うまでもない。

最後に私見。極めて微妙だが(強姦致死があるので。森炎『量刑相場』(幻冬舎、2011)p103 参照)、被害者が2名であること、「被害者らの殺害を当初から計画していたものではないこと,被告人には前科がな」いことなどを重視し、無期懲役にするのが妥当だったと考える(事実の認定で最高裁の見解が正しいとして)。ただ、これらは、最高裁判所が弁論を開いたことで終わったこと(判決を見直すときと、死刑判決が維持されているときは、必ず弁論を開くらしい)だが、罪の重い判断だったと思う。被害者遺族としては死刑判決はそれなりに満足なのだろうが、つらい弁明を余計に聞かされた側面もあるので。もっとも、これは、被害者遺族が判断する問題だが。

*本エントリーでは、名前が重要なわけではないと考えたので、まことに勝手ながら、被告人と被害者遺族を匿名としました。