清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

「加害者の ための裁判」 仕方なし(「被害者」で 思考を停止 するなかれ(4))

東京地方裁判所で、2010年11月1日に、耳かき店従業員ほか2名が殺害された事件で、無期懲役の判決が出た。それを報じている読売新聞の記事に気になる箇所があったので、取り上げる。

記事の見出しは、「『加害者のための裁判』」、「*被害者遺族」(読売新聞2010年11月1日朝刊13版30面(仙台では)。以下、カギカッコ内は記事からの引用)。

まず、見出しが疑問。そこには、「死刑が確定した(中略)死刑囚(中略)の親族」のコメントも載っているが、見出しになっていない。わざと不正確な見出しにすることには、何らかの恣意が予想される(たとえば、死刑廃止論を盛り上げないため)。こんな見出しでは、新聞が信用されなくても仕方ないわな。

さて本文。ある被害者が、「『遺族は裁判員なら遺族感情に寄り添ってくれると思ったはず』と今回の無期懲役の判断に落胆した様子だった」そうで、さらにその被害者は、「『裁判官だけだった娘の事件の裁判では“結局は生きている加害者のための裁判だ”と感じたが、裁判員も加害者を前にすれば同じなのでしょうか』と語った」という。

しかし、仕方ない面もある。

第1に、それなら、裁判は被害者の声だけを聞け!と言うのだろうか(もちろん、その被害者は言っていないと思う)。証拠を基に妥当な結論を見出そうとするのは、裁判官だけでも裁判員がいても同じだろう。

第2に、第1審で過去と違う結論が出ると、[矛塞堙?嚢義覆気譴燭蝓雰沙?幣挧∥381条)、∨,硫爾諒薪纊雰竫∥14条)の問題が生じたりするからである。データベースを見て、過去の判例と極端に外れないようにするのは、仕方ないのではないか?

以上、裁判は、どうしても「加害者のため」という要素をなくすことはできないと考える。