清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

メア発言 信用するの 難しい

週刊現代』2011年9月10日号p154~p157に、「特別インタビュー アメリカは何もかも知っている ケビン・メア元国務相日本部長 『私は見た! 何も決められない日本の中枢』」と題したインタビュー記事があった。いわゆる「ゆすり」発言(当ブログでの、「メア」で内容検索した結果参照。http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%A5%E1%A5%A2&sk=1
で日本部長をやめさせられた人であり、ある程度は注目されるインタビューである。検討してみるか。
 
いわゆるゆすり発言は「事実無根」(p155)で、「(『決断できない日本』文春新書)に書きましたので、そちらをぜひご一読いただきたい」とのこと。しかし、一方当事者の本だけを読んで正しいとするのではなく、共同通信や、ノートを取った人の言い分も聞かないと。それがなければ、判断は控えたほうが無難である。
 
「私は駐日大使館で環境・科学技術担当公使を務めたことがありましたので、原子力分野にもある態度の知識を持っていました」(p155)の「知識」(p155)を用いて以下のインタビューに答えている模様。
 
「欧米メディアを中心に『日本政府は不都合な情報を隠しているのではないか』との指摘がありましたが、(中略)実際のところは、彼らは単に正確な情報を持っていなかったのだと考えていました」(p156)とのこと。そうだとしたら問題だが、分析して、後世に役立てるしかないだろう。
 
「3月11日以降の日本政府の対応を見ていると、この基本的な意思決定のシステム(「最悪の状況を考え」、「あらゆる可能性を検討したうえで、様々な対応策の中からどれを選ぶかを、責任ある立場の人が最終的に判断する。これが政府の役割」)がまったく機能していなかったように思えるのです」とのこと。「具体的な事例を一つ示しましょう」と続き、「アメリカは日本側に(中略)品目を連ねたリストを送りました。ところが、日本側は『ヘリコプターを何台支援してほしい』という回答ではなく、『そのヘリコプターは(中略)どんな保証が必要になるのか』といった100項目にわたる『質問』が返ってきたのです。一刻も争う状態なのですから、とにかくまずは(中略)支援を受け入れるべきでしょう」(以上のカギカッコは、p156からの引用)とメアさんは言う。しかし、それだけ、アメリカが信頼されていないわけで、反省すべきは、メアさんらのアメリカだろう。アメリカが何かをするときは、あとの見返りが求められるのではないかという懸念が、日本側に生じたのだろう(「アメリカの 属国という 「ベストテレビ」」( http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/52116477.html
参照)。あと、山岸俊男さんの説だったと思うが、アメリカは信頼社会で、日本は安心社会(異分子排除で築く)だというのも影響したか。
 
「日本のトップである菅直人総理も、『自分は関係ない』と言わんばかりに責任を逃れようとしたフシが各場面で見られました。例えば、電源喪失から1週間が経過し、東電にも打つ手がなくなってしまったとき」(p156)だとか、「ホワイトハウスは菅政権が原発事故の対応を東電任せにして、自分たちはまるで責任がない、これはあくまでも一企業の問題だとでも言いたげな姿勢でいることに懸念(中略)東電は発電が本業で、事故対応のプラント会社ではないからです」(p156)だとか言っている。例えれば、火事があったらまずは消防だろう、ということだろうか。しかし、一義的に被害拡大を食い止めるのは、企業なので、「一企業の問題」(p156)だとされても仕方ないだろう。菅政権の対応ではなく、国の関与が小さすぎたことが問題なのではないか?
 
もっとも、メアさん、単なる悪口屋ではなく、「『もし菅内閣でなければ、もっとスムーズに原発問題を処理できたのではないか』との声も聞かれました。(中略)しかし、別の内閣であればうまくいったかというと、そうとは言い切れません、というのも、日本には致命的な欠点があり、(中略)それはほとんど改善されていないからです」(p156)と、一見正論と思われることも言っている。たしかに、「『菅内閣でなければ』」と言っている人で、感情論以上の、きちんとした論拠をもって論じている人は、私の知る限りいなかったからだ。
 
「その欠点とは『決断できない』というとてもシンプルなものです」(p157)というのは、違う可能性が高い(し、「全員の考えをまとめ」(p157)るのは「時間がかか」(p157)っても悪いとは言えない)。「強いリーダー」(p157)が出ても、ダメだろう。それは、そもそも内閣に力がないことなのだ(ろう)。カレル・ヴァン・ウォルフレンが、『日本/権力構造の謎』(全2冊、ハヤカワ文庫、1994)や『人間を幸福にしない日本というシステム』(新潮Oh!文庫、2000)以来言っていることだが、『日本の国会』(大山礼子、岩波新書、2011)にその理由の一端が示されているように思う。例えば、内閣が法律案を作ろうとしても、修正権がなく、議論を促進する手段もないので、例えば与党内で修正済みの法案を提出したり、野党案を丸呑みしたりと、内閣の思い通りにするのが恐ろしく難しく(以上は、清高の要約)、力がない、ということにある。
 
多少は抑制されていたが、メアさんのコメントは、人に焦点を当てすぎである。制度がどうなっているかの勉強をしてから、提言・批判をすべきだと感じた。