清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

岡村さん 相当衝撃 受けている?

読売新聞2011年10月14日朝刊13版10面に、全国犯罪被害者の会あすの会。URLは、http://www.navs.jp/) 前代表幹事である、岡村勲さんの「未執行者急増120人 死刑命令 法相の義務」が載っている。本エントリーでは、この論文を検討する(なお、以下のカギカッコ内は、断りのない限り、読売新聞2011年10月14日朝刊の、岡村さんの論文からの引用)。
 
もちろん、「死刑執行命令は、判決確定から原則として6か月以内でなければならない(刑事訴訟法第475条)。これは法相の義務であって、自分の思想信条に左右されることは許されない」は正論である。
 
しかし、岡村さん自身が犯罪被害者遺族だからか、相当苦しい展開になっている。以下、指摘する。
 
「死刑囚が被害者を殺害した時の残虐非道さは絞首刑の比ではない」こそが「嘘だ」。絞首刑は、首に縄をかけて、床を落として執行するのは、死刑関連文書や、「モリのアサガオ」(テレビ東京系のドラマ)を見ればわかるが、絞首刑が残虐でないのならば、首を絞めて殺害すること一般が残虐でないはずである。刑法第199条を改正して、首を絞めて殺害することだけは合法化しろ!と言わないと一貫性がない。もちろん、被害に遭われた時の残虐非道さを理解しないつもりはないが、人の命、もっと言うと生命の命を奪う行為一般が「残虐」であろう。しかし、生命の命をどの場合に奪うのかは、人間が考えなければならない。「『誤審がある』」は、死刑判決を言い渡される確率がゼロの人はいないのだから(捜査機関や裁判所が判断を間違える確率がゼロでない、と言えば分かるか)、有力な理由である。岡村さんは、誤審で死刑になっても、文句は一切言わないのですよね? 
 
「死刑に威嚇力がないというのも嘘だ」とある。しかし、威嚇力があるという研究は、私の知る限り、ない。お互い刑事政策・犯罪学については素人なのだから、有力な根拠がない限りは、蓄積した研究に従うべきだろう。
 
「理不尽に人の命を奪ったものは、自分の命を持って贖うという道義的・倫理的精神が重要なのだ」が、だからといって他のことを考慮しなくていい、考慮してはならない根拠は? 岡村さん、法律家として、有能なの? 法律家ならば、あらゆる利益を考慮して妥協点を探る思考は、基本中の基本のはずだが。
 
「誤審があってはならないことは当然だが、それは死刑以外の刑罰でも同じであり、誤判のない制度の確立にこそ努めるべきだ」も一見正論のようで、とんちんかんな内容。まず「死刑以外の刑罰」とは違うだろう。誤審はお気の毒だが、残りの人生がある。罰金ならば、お金を返してもらえばよい。しかし、死んだら、それで終わり。回復不可能性は間違っていない。そして、「誤判のない制度の確立」なんて、抽象論ならだれでも言える。人間は間違える動物だと私は考えるので、そんな制度の確立など不可能だと思うが、岡村さんはここまで書いたのだから、具体例を示してもらおうか?
 
死刑廃止国でも、警察官が現場で犯罪(おそらく、私が「犯人」と書き間違えたものと思われます。清高注)を射殺することは認めている場合が多い」については、私の研究不足だが、これも死刑廃止論の弱点すら突いていない。「射殺」こそが批判されるべきだ(または、かもしれない)からだ。
 
「一国の司法制度は歴史・文化に深く根ざすもので、他国から干渉される筋合いはない」もおかしい。それなら。アウン・サン・スー・チーさんは軟禁でよかったのですね? 北朝鮮の国民は餓死でいいのですね? 日本国があすの会の活動を妨害してもいいのですね? 最後は絶対にありえないが、これも日本だけではなく、原則として世界的に集会・結社の自由が認められるからではないだろうか(世界人権宣言第20条参照)。そして、人権状況に問題があれば、他国の干渉はやむを得ないのが、現在の国際社会である。
 
「ようやく確定した死刑がいつまでも執行されず、死刑囚の生活費や医療費を税金のかたちで負担させられるのはたまったものではない」のならば、代替刑として無期懲役でも悪くはない。ただ、独立採算かは調べていないが、作業で作ったものを売ったお金は、被害者団体に渡るのだから、悪くはないだろう。
 
「職責と義務を果たさない法相から死刑執行命令権を取り上げ、これを検事総長に移す方向で、刑事訴訟法を改正すべきだ」は、ありえない改革ではない。「誤判のない制度の確立」に比べたら、具体的だ。ただ、法務部門の最高責任者は法務大臣だが。
 
傲慢な書き方になるが、岡村さんが強い衝撃を受けていることは、理解しているつもりである。しかし、政策を決めるには、忌憚なき批判はやむを得ないと考え、あえてそうした次第である。