「原則を外れた残念なケース」、「現制度化では市町村教委が教科書の一本化に向け、議論を尽くすのは当然」とあるように、現行の採択に問題がないかのような記述である。
しかし、解釈論だけをやるのが新聞ではない。まずは現行制度が問題ないか、あるとすればどんな制度がいいか、などの検討もすべきである。それがないと「批判」(Yahoo!辞書では、http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%89%B9%E5%88%A4&fr=dic&stype=prefix) とは言えない。
「教科書無償措置法は、同一地区内では同一教科書の使用を無償配布の条件としている。教員が教材の共同研究をしやすい点などを考慮したため」と立派な説である。しかし、それなら、高等学校(学校ごとの採択)だって、大学(先生が指定する)だって、そうすべきとなるが、なぜ無償の教科書だけ対象なのだろうか? 「教材の共同研究」はしたことがないが、別の教科書を使ったらできないものだろうか? 本当に不便ならば、法律にかかわらず「同一教科書」の使用に落ち着くので、帆足さんの説明は決め手にはならない。また、一部地域では、学校選択制が導入されているが、この制度との兼ね合いからも不適当だろう。肝心な授業での差別化が徹底できないからである。なお、学校選択制については、私は賛成ではない。というのは、カリキュラムは学習指導要領に則っており、教員の人事異動もあるという状況においては、あまり意味がないからである。また、選択が希望通りにならない人のことも考慮すべきだからである。
「竹富町教委は、各市町村教委に教科書を選ぶ採択権限を与えた地方教育行政法をたてに、『現場の教員らが推している』」とし」たとあるが、法律論を抜きにしたら、「『現場の教員らが推してる』」というのは、決め手であろう。なんといっても、教員が児童・制度に知識を教えるのが授業の本質だからである。現場の教員よりも教育委員会が選ぶ方がいい理由は全くわからないが、「竹富町教委」は、現場の声を聞くいい教育委員会のようである。