名人戦移管問題は毎日新聞単独主催案の否決で一息ついたが、それに関する記事が将棋世界2006年10月号に載っていた。
米長邦雄日本将棋連盟会長の文章に特に感想はないが、吉村達也氏の文章は、はっきり言っておかしなところが多い。章別別に私の感想を述べてみたい(数字は章を示す)。
1、『20年で4割の子どもが「消えた」』
「がんばっても物理的に元の数字は取り返せないのだから、人口大幅減を前提をした将棋界の再構築が急務だ」と言うのがそもそもの問題だったのか。わかりました。
2、『問題は契約金の額ではない』
それもわかる。そこで、能動的アプローチ(たとえば、「名人戦だから毎日」と言うように、棋戦の価値で新聞を読むアプローチ)と受動的アプローチ(「将棋の記事を自然に目にする」アプローチ)を紹介し、「巨大部数が、受動的な将棋とのふれあいをきっかけとした将棋ファンの増加や、棋譜を多くの人々の目に触れさせる点で、大きな魅力になっている」と書くが、それなら別に名人戦でなくてよいのではないか。また、朝日新聞が「朝日オープン選手権」を発展的に解消して新棋戦大々的に宣伝したほうが効果的なのではないか。
3、『普及には「量も不可欠の要素」』
ここで、竜王戦が序列第1位なのは、契約金額のみならず発行部数も考慮しているという趣旨のことが書かれているが、間違い。契約金額が正しい。もし吉村氏の文章通りなら、どうして王座戦(日本経済新聞社主催)が棋聖戦(産経新聞社主催)より序列が下だったり、王将戦(スポーツニッポンと毎日新聞の共催)がタイトル戦の序列最下位だったりするのでしょう(右記のホームページで、ちょっと古いが、2004年の発行部数が書かれているので、参照のこと。http://www.t3.rim.or.jp/~ine/i-mode/hakkou.html)。
4、『タブーへの沈黙が誤解を招いた』、5『名人戦問題は順位戦問題』は特に問題がないので、省略。
6、『いきなり世論に訴えた悲劇』
疑問が3つある。
(1)毎日新聞(明示していないが、たぶん当たっているだろう)の「紙面公開キャンペーン」のどこが、「全部の棋士を批判している」のか、根拠を示して欲しい。
(2)「理事会」=「(社団法人日本―筆者注)将棋連盟」なのは、常識的理解だし、法律を見ても特に疑問のある見解とは思われない(民法第44条第1項参照)。
(3)毎日新聞が感情的になるのはやむを得ないだろう。棋譜の独占掲載権を一方的に盗られそうになった(現に盗られた)のだから。
7、『将棋界にも公式の代理人が必要』
表題は正しいが、「とりあえず笑ってから、その笑いをサッと引っ込め、真剣な表情で、棋界のためにどのような決着をつければ双方にとってベストなのか、時間をかけて内輪だけの話し合いをつづけていれば、結果はまるで違ったものになっていた気がする(毎日新聞単独主催?)」ということは、毎日新聞の立場を考えないで一方的に解約通知をした日本将棋連盟の機関紙で書いてはいけない。
8、『救われた第一人者の冷静な対応』
たしかに第一人者の対応は冷静だったが、書いていることはおかしい。
(1)ネットで取り上げた人も将棋界に興味があるから取り上げたのであって、p41下段3行目以下の記述はせっかくの将棋ファン(予備軍)を失いかねないほどの愚文。
(2)名人戦主催問題は、朝日オープンの存続にも関わるので、参加可能性のあるアマチュアの声を聞くのは当然のはずで、「シェフがレストランの経営方針を、食べにきたお客にお伺いを立てるようなことは不要」とのたとえは不適当。
作家の分際で、ファンや主催者の立場を無視して、米長理事会をヨイショしてはいけませんな。