清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

履修漏れ 学校だけが 悪いのか

高等学校の必修科目未履修問題の波紋が止まらない。全国41都道府県の約400校で未履修が発覚しているという(神戸新聞のサイト参照。http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000151789.shtml)。この問題を取り上げた読売新聞(昨日の朝刊と今日の朝刊参照。仙台は夕刊がないので、一部地域では夕刊で既報かもしれないが)やTV(NHK。なお、NHKラジオでは今日の「ラジオあさいちばん」の「新聞を読む」のコーナーでこの問題を取り上げていた)の報道を見聞すると、どちらかと言うと、学校の責任が追及されているように思われる。

もちろん、学習指導要領に従わなかったのだから、学校の責任が問われるのは当然である。しかし、本当に学校の責任を問うだけでいいのだろうか、疑問がある。以下、私が思ったことについて述べる。

1、なぜ必修科目の未履修が生じたかについては、いろいろな理由があるようだ。たとえば、ー?海里燭甕儻譴篆学に振り替えた、∪こ史は範囲が広いため選択する人が少ないので、日本史や地理にウェイトを置く、1親阿了?屬鉾颪笋垢燭瓠扮親杏埖の解消、運動会の練習)、ぢ床別椶陵晙い覗躪臈に学んだ(世界史学習で地理を学んだ、など)、ゾ霾鵑寮萓犬いなかった、など(以上につき、読売新聞2006年10月27日朝刊(東京本社版第13版)3面、同2006年10月28日朝刊(東京本社版第13版39面、仙台圏35面)参照)。ところで、公立学校は個性がないといわれて久しいが、どうしてどうして、このように個性を出そうと努力しているという点において必修単位未履修はかえって好感が持てる話ではないか。

2、報道を見る限りでは学校の責任を問う声が多いことは前述したが、本当にそうか。むしろ、文部科学省、大学のほうに原因はあるのではないか。
(1)文部科学省は、本当に現場の立場に考慮してカリキュラムを作っているのだろうか。学校週休2日制(これは変えられない。先生の負担、各業界での週休2日制の普及、国際比較の観点から)で時間が取れない上に、科目を増やしたり(私の頃は「情報」の科目はなかった)すれば、どこがでしわ寄せが来るのだから(本文の例で言えば英語、運動会、など)、何らかのカリキュラムの変更をするのはやむを得ないではないか。
(2)大学について言えば、ほとんどの大学は社会は2科目も要らないなど、受験生の負担を減らし続けている。そうなれば、受験に関係ない科目を履修しなかったりするのは想定できるではないか。
(3)受験偏重はよくないというが、今の日本ではまだ大学入学年齢は約19歳と決まっているようなもので、浪人を出さないために学校が努力するのをとがめることはできないだろう。受験偏重という点でもう一点言えば、全然受験に関係ない科目(体育、芸術など)は気分転換として価値があるが、受験で選択しない科目(理科の物理、地理歴史科の世界史など)は後々役に立つとしても受験を突破するために軽視するのは仕方がないだろう。
(4)なお、社会科(ここでは地理歴史科と公民科を言う)について付言。私の頃は「現代社会」を1年で習ったが、「現代社会」は無理して言えば導入的科目といえる反面、「世界史」が導入として適当かどうかは疑問がある。社会科のカリキュラム、受験科目の検討は欠かせないだろう。なお、以前、「社会科は 何を必修に するべきか」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/18780346.html )において、世界史必修を妥当だとしたが、改めて考えると、中学校との継続性を重視するか、高等学校での体系性を重視するかの選択が難しいなと思った。