昨日の読売新聞朝刊(東京本社版4面(仙台では))に、森喜朗さんのコメントが2つ載っていた。この2つのコメント、どちらもおかしい。以下、問題のコメントを検討する。
1、(郵政民営化反対のため自由民主党を離党した議員の同党復帰に反対する議員に対して)
「1回1回の勝負が選挙だ。(造反組を復党させないで)次の選挙まで保証しろなんて、甘えだ。刺客は相手をやっつけたら自分が死ぬものだ。それを助けてもらっている」
2、(以下、「保守主義インタビュー」から抜粋)
(1)「スポーツも奉仕活動もやらず、他人とのふれあいも少ないままに勉強、塾通いを続けると、大人になっても幼稚なことを平気でやってしまう。(中略)民主党の偽メール問題のように国会議員になっても驚くようなことが起きる。」
(2)「日本の世の中は戦後、「左」になっていた。自民党もそれにかかわってきたが、今、徐々に真ん中に戻そう、ということだろう。」
まず、1、だが、離党議員の復帰に反対している議員の誰が「次の選挙まで保証しろ(次の選挙も公認しろ)」と言っているのか。郵政民営化を主要論点として選挙したはずなのに、賛成の民意も考慮せず、反対した人を復帰させるのはおかしいと言っているのだ(もっとも、私見は反対)。また、「刺客は相手をやっつけたら自分が死ぬものだ」と言うが、当選したら即辞職しろ(または次の選挙に出るな)とでも?
次に2、だが、(1)について、スポーツや奉仕活動に教育的効果があるとは思うが、スポーツや奉仕活動だと「他人とのふれあい」があって、勉強、塾通いは「他人とのふれあい」がないと言えるのだろうか。民主党の偽メール問題について、たしかに永田議員は「スポーツも奉仕活動もやらず」「勉強、塾通いを続け」ていたのかもしれないが、それと偽メール問題は関係あるのだろうか(永田さん個人の資質の問題であって、スポーツや勉強の問題ではない)。
(2)について、たしかに「日本の世の中は戦後、「左」になっていた」だろう(「左」とは、急進派(急に理想を実現する、現状を中途半端にではなく根本的に変革しようとする立場)、社会主義、共産主義のこと(カッコ内は広辞苑第4版参照))。しかし、それはしようがないのではないか。国民の権利の増大、平等な社会のどこが悪かったのだろう。「今、徐々に真ん中に戻そう」と言っているが、それで国民の権利や自由がなくなるなら、ごめんだ(自由民主党の憲法草案や教育基本法の改正案を見ると、その傾向がある)。
こんなデタラメなコメントを出す人が日本国の内閣総理大臣だったのだから、恥ずかしい。「美しい国」を目指すのならば、まずはこの人の離党、ならびに議員辞職を勧告することから始めたほうがいいようだ。