清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

過去の基準に こだわることも 平等だ

MSN産経ニュース「判決に裁判員ら「自分たちの意見反映された」」(2011.6.30 22:30 。http://sankei.jp.msn.com/region/news/110630/chb11063022320011-n1.htm
をまずはご覧ください。

この記事、無邪気に、被告人が死刑になったことを肯定的に評価している。

しかし、それでいいのだろうか?

「今回の事件のように被害者1人で死刑が選択されたケースは珍しい」とあるが、『裁判資料 死刑の理由』(井上薫、作品社、1995)を読んだ限りでは、「被害者1人で死刑が選択されたケース」がある。ただ、人を殺したのが初めて(MSN産経ニュースの事件ではそう)の事例で「被害者1人で死刑が選択されたケース」はあったかなぁ?

それより、以下の内容を語った裁判員、ならびに、それを無邪気に肯定しているMSN産経ニュース産経新聞)というのは、法の精神すら理解できない、現代の社会では生きていられないくらいの低レベルな人間・報道ではないかな。

(引用開始。なお、「/」は、段落が変わることの意)
永山基準については「指標としては揺るぎない柱」としながらも、「(項目の)一つ一つに事件内容を当てはめて判断する必要はないのでは」とした。/一方、補充裁判員の男性も「死刑を判断する事案については(永山基準に)こだわることはないと思う」との考えを示した
(引用終わり)

もちろん、時代により判断基準や内容が変わることがあることを否定しない。しかし、最高裁判所が示した基準通りに仮にしないとして、その結果判断がぶれたら、どちらにしても法の下の平等(憲法第14条)に違反するんじゃないか?

本エントリーで取り上げた強盗殺人事件の判断が、過去に比べて重かったかは判断しない。しかし、被告人・弁護人は、当然上訴するだろうし、「有罪だけ 尊重するの いいことか? 」(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/51824589.html
で取り扱った事件のように、無罪の事件を有罪と認定する(量刑を重く判断している。もっとも、実際に無罪かどうかは問わない)ことを躊躇しないのならば、本エントリーで取り上げた強盗殺人事件が、過去の事件に比べて量刑が重いと思ったら、死刑を回避することを躊躇してはいけない。