清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

制度のね 不備があるのは わかるけど

1.『戸塚ヨットスクールは、いま――現代若者漂流』(東海テレビ取材班、岩波書店、2011)を読了した。

本来は、「『司法ドキュメンタリーシリーズ』」の一つで、戸塚宏「『被告』」を扱おうとしたものだが(p6)、途中で趣向を変え、独立したドキュメンタリーにしようとした。多くの視聴者を求めるために、『平成ジレンマ』という映画にした。

内容は、いわゆる戸塚ヨットスクール事件(第1章。傷害致死などで戸塚宏校長に懲役6年の実刑が確定。ただ、傷害致死かは微妙かもしれない。詳しく調べていないのでわからないが)、現在の戸塚ヨットスクール模様(第2章から第5章)、現代社会の問題点(第6章)、『平成ジレンマ』という映画を識者が見た感想(第7章)、といったところか。

2.第4章において、女子高生が自殺をしたことを載せるなど、戸塚ヨットスクール礼賛になっていないのは、よい。ただ、それだと、なぜヨットスクールなのかが見えない。万人に適した方法論はないが、効果が明らかでなければ説得力に欠けるだろう。

むしろ問題なのは、社会の見方がダメなところである。

(1)もちろん、制度に不備はある。p111からに詳しいが、懲戒場がない(我妻栄=有泉亨『民法(親族法・相続法)』、一粒社(最新版は勁草書房)、1956)など、家庭内暴力において、親が抱え込まざるを得ない状況になっている。

しかし、だからといって、戸塚ヨットスクールを正当化する根拠もまた薄弱である。以下、場合を分ける。

まず、未成年の場合。民法では、親が子の居所を指定し(821条)、懲戒することができる(822条。懲戒場に入れることができることにつき、既述)。だから、子が同意しないからとって、戸塚ヨットスクールに入校させられない、とまでは言えない。しかし、「必要な範囲」(民法第822条)となるかは、難しいだろう(だから、なぜヨットなのかの考察が欠かせないのだが、『戸塚ヨットスクールは、今』を読んだ限りでは、考察不足に感じた)。

次は、成年の場合(第5章はみな成年)。親の親権はないので、居所指定権も懲戒権もない。成年になったら、子の同意がなければ入校は難しいはずで、契約の成立を認めるのは難しいだろう(訂正しました)。また、民法第877条第1項によると、直系血族は扶養義務がある。だから、ニートの扶養義務を負う場合がある。もっとも、扶養義務は出来る限りでよい(民法第879条)ので、扶養を打ち切ることがあり得る。しかし、そうなると、住居はどうする? 就職資金はどうする? など、別の問題も生じる。こういうと、「ニートは穀潰し」みたいなことを言う人はいるが、何らかの形で長期失業はあり得るので、主張の正当性はない。

どちらにしても、戸塚ヨットスクールを正当化することは難しく、社会に対する極めて浅い見解に終始している(なお、自発的に入校することを否定しているわけではない)。

また、子は親が育てる論(子ども手当でもクローズアップされた)が、いかに家族に抑圧を強いているか、ということが指摘できていない(私は結構重要だと思っている。民法第877条第1項の改正が必要かも)。

(2)戸塚宏さんは、「『ニートを作らないようにしないといけない。それには、小学校のころにちゃんと、人間教育をしないといけない』」(p119)と言っている(現在のスクール生は、非行少年ではなく、引きこもり・ニートが主流だとか)。人間教育は否定しないが、効果があるかはわからない。そもそも、多数の人は、現在の教育でも就職できているのだから。また、ニート否定は危険である。求人側の条件を不問にしているからである。

ニートを論じると、ニート個人は問題だというトーンが目立つが、それでは建設的にならない。なぜ就職しないのか(条件が悪いから?)、なぜ学校へ行かないのか(学費がないから? 大学生の可能性が広いとすれば、高等教育無償化(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第13条第2項(c)参照)の主張は必須)、なぜ職業訓練を受けないのか(ニーズに合わないから)、といったことを、ニートの立場を慮って論じなければならないはずだが(この段落のカッコ内で、私見を披露した)。

3.というわけで、『戸塚ヨットスクールは、今』という本は、戸塚ヨットスクールの正当性(ヨットの効果など)に迫れず、社会に対する見方が浅い(同意なしの入校をもっと痛烈に批判すべきなのだが、それができていないのが根本か)ので、ダメな本であった。