清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

読売の ニートバッシング 止まらない

読売新聞は、以前からニートバッシングの盛んな新聞である。いわく「ニートは甘え」、いわく「ニートは部活動やアルバイトにも参加せず社会性に乏しい」、いわく「ニート発達障害」。どれも外れているとはいえないが、書いても何のプラスにならないのでダメである。その読売新聞が、2月3日土曜日と2月5日月曜日の紙面で、またもニートバッシングをやってのけた。以下検討したい。

1 まず、2月3日の『試写室』で、『スロースタート』の番組紹介があったが(原作の『レンタルお姉さん』がダメな本なので、見なかった。よって、ドラマについては批判しない)、これがニートバッシングに満ち溢れている。いわく、「学校や会社に毎日通っている人から見れば、不思議に思うかもしれない」(学校や会社に毎日通うことは悪くないが、通わないことは「不思議」に思うほどネガティブなことだろうか)。いわく、「家でぶらぶらするだけ」(SOHOでもあるまいし、家の中で仕事しているほうが珍しいのではないか)。いわく、「世間からはみ出している」(同じ世間の住民ではないのか)。いわく、「異分子を排除」(このようなことを書くこと自体、執筆者の(旗)さんが、ニートを「異分子」と思い排除したいのではないかと勘ぐってしまう)。

2(1)次は、『宮城仙台圏』の『宮城写会学』。見出しから「よみがえれ 生きる力」。ニートは生きる力がない?一面ではそうだが、それでは家事の出来ない団塊の世代もそうなはずだが、なぜ生きる力がないと言わないのだろう。

(2)本文を見ると、疑問点続出。まず、「社会で必要な、自分で問題を見つけ解決する力」(くりこま高原自然学校の佐々木理事長のコメント)というが、まずは素直に言うことを聞くことが大事、「自分で問題を見つけ解決する」ことには危険な一面もある(日本人に過労死が多いことの原因とも疑われる)。

(3)「農作業や建築作業、まき割り」は貴重な体験と言えるが、ひきこもりやニートのために必要かは疑問である。近視眼的かもしれないが、実際就くであろう仕事に近い技術のほうがいいのではないか。

(4)「コミュニケーション能力を高める」?たまたま就職してないだけなのに?就職した人でもコミュニケーション能力のない人はいるのにね。誤解を生じさせる記事だ。

(5)社長が塾生を解雇したそうだが、不当解雇はないか調べたのか。

(6)(3)と重複するが、ひきこもりやニートの支援に、集団生活や農作業など必要なのか。学校に通ったり職業選択をしないということはそれらが選択肢として魅力がないからではないのか。そちらの改善を提言しないで既存の施設を礼賛するだけでは意識が薄いと言わざるを得ない。

(7)特にニートについていえることだが、ニートは本人が悪いとだけ言っても始まらない。労働現場に問題はないのか。不当解雇、長時間労働は全然ないのか。ニートだけを問題とすることによってそれらに対する追及が甘くなるのは日本社会にとってニートがいることより大きなマイナスである。