長崎市の現職市長(今度の市長選も立候補)が、暴力団員に殺された。
最初は、平和がらみの右翼がやったかと思ったが、どうも公共事業絡みのようだ(報道ステーションを見て)、と考え直したところ、どうも被疑者のエゴのようだ。
それはさておき、首長というのは、すべての人を満足させることができないので、命が狙われやすいということなのだろう。大変な商売だな。
ただ、マスコミ報道を見て思うのは、政治家や言論人が殺されると、より報道が不公平になっているのではないか、ということである。すなわち、彼らが殺されると、より「加害者、許すまじ」という感情が出てしまうのである。
大衆受けする事件(たとえば、被害者になんら落ち度がないように思える事件)もそういう傾向があるように思うが、市井の人が殺されても、ただ事実が伝えられるだけで終わるものもある。なかなか難しいだろうが、どういう伝え方が公平かは検討しなければならないだろう。