清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

酒飲んで 脳が萎縮か 宮崎さん

今日から、読売新聞紙上において、アングル「秋葉原殺傷事件」の連載が始まった。

第1回は、評論家の宮崎哲弥さんだったが、言っていることが結構滑稽だった。

まず、「若年層でストレスに対する耐性が弱まっているのは確か。これまで個人のストレスを緩和・吸収していた地域や家族などの共同体が崩れ、若者が「自己責任」の名の下、優勝劣敗が露骨に表れる状況におかれている」とのことだが、「若年層でストレスに対する耐性が弱まっているのは確か」と、それ以降の文章は矛盾する。すなわち、「ストレスに対する耐性」云々を言うならば、過去の世代と同条件でなければ言えないのでは?

「ただ、こうした事件の動機形成を一つの要因だけに求めるのは間違いだ。事件の主因はあくまでも容疑者の資質や成育史であって、派遣労働やサブカルチャーの問題などは従因だ。せめて主因と従因を分けて報道する必要がある。この点で混乱している報道や論評が多かった」とのことだが、「混乱している」のは、宮崎さんのようである。というのは、容疑者の資質や成育史がなぜ主因なのかが明らかでないからである。それらすべてが重なって、今回の事件が起こったわけで、報道や論評が混乱しているわけではない。

この宮崎さん、黄桜のCMに出ているのを見たことがある。CMの中で酒を飲みすぎ、普段も引きずって、こんなとんちんかんな評論を書いているのだろうか。

(追記―2008年6月26日記)
まず、宮崎さん関連。

「「書き込みは心に響くものがある」などの投書が寄せられた。危うい風潮だ」というほうが「危うい風潮だ」。犯罪は人間がやるもの。「心に響く」ところがあっても不思議ではないだろう(もちろん、絶対に!犯罪を犯してはいけない)。やはり、酒を飲みすぎて、とんちんかんな評論だということのようだ。

ただ、宮崎さんはマシかもしれない。今日の朝刊に載っていた△硫弾主税さんはもっと酷い。一例を挙げると、

「恵まれない状況を他人のせいにしているだけだろう」というのは、はっきり言って偏見だ。人は他人の悪いことは、本人に帰責させる傾向があるからだ(『クリティカル・シンキング(入門篇)』(ゼックミスタ=ジョンソン 北大路書房)参照)。

以前は新聞などに投稿されたものが、ネットになっただけ。特定が難しくなったわけではない。別にいいのではないか。特定されて、犯罪が防げれば。それ以上にネットにネガティブなことを書いても、意味がない。