清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

読売の 記者さんこそが バカだった!

先頃、週刊新潮の記事の中で、「バカ市長」と書いたら名誉毀損になってしまったが(おそらく、実際はそれだけでなく、内容が公平な論評ではなかったと推察する)、以下の読売新聞の署名記事を書いた人は、おそらく「バカ」なのだろう。なお、読んでもらえればわかるが、一方的は誹謗中傷ではないので、名誉毀損にはならないものと考える。

1.大相撲の西の正横綱朝青龍関が休場した。残念である。左ひじ内側側副じん帯損傷だそうだ。

こういう場合は、「怪我を早く治して出直して来い」だの、「来期は進退を賭けた場所となろう」だの書くのだが、読売新聞の三木修司記者は違うようだ(2008年7月19日朝刊23頁「ちから水」(仙台では))。

いわく、「「ひじが痛い」との言い訳がむなしい」( 法△い錣、「敵前逃亡のような」(◆法

まず、 この記事では、稽古量の不足を強調しているが、ひじを痛めたことと稽古量は関係ない。また、△砲弔い董△劼犬鯆砲瓩討竜拆譴世ら、「敵前逃亡」も当たらない。

はっきり言って、誹謗中傷なのだ。三木記者は、朝青龍関に謝罪すべきである。このように「改心しなければ」、記者として、人間として「終末は目の前だ」。

2.2008年7月21日朝刊文化面(仙台では)「2008思潮 7月」は、上記ほどひどくないが、ひどい内容だ。

秋葉原事件を生み出した時代」(『中央公論』)、「秋葉原事件・何が問われているのか」(『世界』)のような論考を、「「社会が悪いから」というところに理由を落とし込んでいく言論には、きわめて危うい一面がある」(これ自体はわかる)と切り捨てる反面(以下、「社会が悪い」論と記す)、「若者よ、殺人犯を英雄にするな」(『文藝春秋』)や、「「コピー&ペースト」型大量殺戮の恐怖」(『諸君!』。「社会全体の責任転嫁の傾向を拡大して映し出した戯画にすぎない」などど書かれているようだ)のような「社会が悪い」論を批判した論考は批判しないうえに、読売新聞に載っていた宮崎哲哉さんのインタビューのような見解は批判していない(『酒飲んで 脳が萎縮か 宮崎さん 』(http://blogs.yahoo.co.jp/kiyotaka_since1974/43056840.html
参照)。

「社会が悪い」論は確かに一面的だが、このような問題提起が社会状況の改善につながるのは、歴史上明らかだろう(「最良の社会政策は、最良の刑事政策である」(リスト)のような見解もあるし)。逆に、「社会が悪い」論批判だって、「わかりやすい物語」という一面があるのではないか。つまり、「社会全体の責任転嫁の傾向」だの、本人が悪いだの、家族が悪いだのと書くことも、「社会が悪い」論同様、「きわめて危うい一面を持つ」と言える。

「「わかりたい」衝動を抑え、「わからなさ」に耐えて冷静な思考と議論を積み重ねていく」ならば、社会が悪いとも、社会全体の責任転嫁の傾向とも、「容疑者の資質や成育史」(上記サイトから宮崎さんのコメント)を重視することもいけないのではないか。このことがわからない時田英之記者は、「バカ」と書かれても仕方ないだろう。