清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

司法より マスコミどうにか すべきだな

今は新聞週間だという。また、来年から裁判員制度が始まる。この2つを絡めたのが、読売新聞10月15日社説「新聞週間 時代の羅針盤でありたい」(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20081014-OYT1T00606.htm
だ。

ただ、内容に疑問が。

それは、「予断排除は、まず法曹界自体が取り組むべき課題だ」、「警察・検察と弁護士の理解、協力も求めたい」など、捜査機関や法曹に求めているくだりである。

やはり、「捜査機関の情報とそれ以外の情報を明確に区別」することや(これは、読売新聞はしているそうだ)、裁判が始まるまで、被疑者の情報は原則として隠すべきだろう(匿名にしたり、特定できなくしたりすべき)。なお、このように書くと、「被害者はどうなる!」というとんちんかんな批判をする方がいるので被害者について触れると、これは原則匿名で被害者次第ということにすればよいだろう(まだ頭の中では基準が定まっていないが、事故ならば実名を出してもよいかもしれない)。

戻って、「予断排除は、まず法曹界自体が取り組むべき課題」について触れると、報道を見てしまうと、裁判官が何を言おうと、予断を排除するのは難しいはずである。やはり、報道が努力すべきだろう。

「容疑者の言い分を速やかに伝えることが必要」かは実は難しい(黙秘の場合もあるので。黙秘=やった、ということにはできないが、一般市民にそこまで求めるのは酷だろう)。それよりは、警察の捜査を伝える時に気を使うべきだろう。

「弁護士には、弁護方針が固まらない段階で取材に応じるのは妥当ではないとの考えが根強い。しかし、バランスのある報道を強く求めてきたのも弁護士だ」って?ここに社説執筆者の感情が表れていると思うのは気のせいか。たしかに、「バランスのある報道を強く求めてきたのも弁護士」なのだろう。しかし、それは、「容疑者の言い分を」「弁護方針が固まらない段階で」明らかにすることではなく、無罪推定を徹底しろ、ということではないのか?裁判員制度が導入された場合に「弁護方針が固まらない段階で取材に応じる」と、とりわけ裁判員に予断を生じさせることにはならないのだろうか。

繰り返すが、捜査や裁判については、マスメディアに特に努力を求めたい。