何度でも書くが、皆様のおかげで、新聞が読めるまでになりました。感謝します。
私は読売新聞を読んでいるが、2011年3月28日朝刊12版12面に、「WEB本の雑誌 特別企画 ノンフィクション特集」と題した本の広告がある(URLは、http://www.webdoku.jp/)
。
特に目を引いたのは、「報道されない死刑制度の実情」(http://www.webdoku.jp/tsushin/2011/03/20/175137.html)
である。ただ、残念ながら、悪い意味で。以下、検討する。紹介する本は、『慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話』(岡崎正尚、ポプラ社、2011)だが、未読ゆえ、本の評価は避ける。
「報道されない死刑の実情」というレビューのどこが悪いのか?
第1に(展開上、順番を変えております)「まず、誰よりも小林被告(ママ)自身が自分の罪を理解し『自分は死刑に値する』と感じていること。そして、『それ以外に遺族に謝罪する方法はない』と考えていることです。こうした人を前に、死刑廃止を呼びかけるのが正しいのでしょうか。それとも、死刑存続を訴えるのが正しいのでしょうか」のくだり。小林竜司被告人がどのような謝罪の方法を模索しようが本人の自由だが、この問いの答えは明らか。「こうした人を前に、死刑廃止を呼びかけるのが正しい」のである。荒っぽいかもしれないが、被告人は、死にたいと思っていると解釈できる。メンタルヘルスに詳しい人なら同意していただけると思うが、このような場合には、精神的な不調の疑いがあるから、お医者さんに診てもらうようにアドバイスすべきである。死刑囚でなければ、誰でもそうするだろう。死刑囚だとしてはいけない理由はあるのか? また、死刑があるから、このように考える可能性があり、そうすると、死刑制度が精神的不調を招来している可能性がある。ゆえに、「死刑廃止を呼びかけるのが正しい」のである。
第2に、「当事者ではない立場から死刑廃止や存続について意見するのは簡単です」と書いているところ。死刑を言い渡される立場(先のことはわからないのに、自分だけその立場にはならないとしてはいけない)だったり、立法者(国会議員)を選出していたりと、死刑の問題は、国民すべてが当事者だからである。
第3に、「『死刑』を廃止するのは容易ではありません」のところ。法律を改廃するのが難しいというのか?例えば、日本国憲法に死刑廃止の条文があるとして、それを廃止するのは難しいかもしれないが(硬性憲法。憲法第96条第1項参照。憲法第59条と比較)。
このレビュアーが『慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話』を紹介する前にやることは、「世界各国(特に先進国)では死刑を廃止する動きが活発化しています」、「人権団体などが抗議を強めている」、「『人権』という点での批判や、『冤罪』という危険性も指摘されています」、これらを正確に理解することである。それすらしないものだから、貴重な本かもしれない『慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話』を貶めるレビューになってしまった。経験の未熟さがレビューに出てしまったのが極めて残念である(もっとも、私のアマゾンのレビューも、自省しなければならないかもしれないが)。