清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

琉球に 遠く及ばぬ 読売だ

2011年12月1日付の読売新聞社説の一つは、「沖縄局長更迭 政府は信頼の再構築に全力を」(以下、「読売社説」と表記。http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20111130-OYT1T01181.htm) 。本エントリーではこの社説を検討する。
 
「無論、評価書の提出を女性への暴行に例えた田中氏の発言自体は極めて不適切だ」(読売社説)とはあるが、以下を問題視する。少々長いが、引用は以下の通り。
 
「懇談は、報道しないというオフレコが条件だったが、地元紙の琉球新報が「公共性、公益性がある」との独自判断で記事化した。/(改行の意。清高注)この報道姿勢は疑問である。/オフレコ取材について日本新聞協会は「国民の知る権利にこたえうる重要な手段」としつつ、報道機関にオフレコを守る道義的責任があるとの見解を示している。/報道機関が、オフレコ取材の相手の了解を得ず一方的に報道するようだと、取材先との信頼関係が築けず、結果的に国民の知る権利の制約にもつながりかねない。/鉢呂吉雄経済産業相原発事故をめぐる失言で辞任した際は、オフレコ発言かどうか曖昧だったが、今回は明らかに違う」(読売社説より)
 
もちろん、オフレコ取材の一般論としては正しい。
 
しかし、今回の場合は、公務員の適性の問題であり、「相手の了解を得ず一方的に報道」(読売社説)しても問題ないだろう。直接関係はないが、刑法第230条の2・第3項では、「前条第一項の行為(名誉棄損(刑法第230条)の構成要件に該当する行為。清高注)が公務員(中略)に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない」とされる。公務員の言動は、「「公共性、公益性がある」(刑法第230条の2・第1項参照。清高注)との(琉球新聞の。清高補足)独自判断」(読売社説)は、間違ってはいるわけではない。
 
官僚ベッタリで、官僚の見解を垂れ流すのに慣れたのか、市民感覚を忘れた読売新聞の負けである。琉球新聞の勇気ある報道に敬意を表する。もっとも、更迭された田中聡さんが争ったら、どうなったかはわからない。
 
気になるところはまだある。それは、「鉢呂吉雄経済産業相原発事故をめぐる失言で辞任した際は、オフレコ発言かどうか曖昧だったが、今回は明らかに違う」(読売社説)のくだり。読売新聞の過去の記事を調べてみよう。

YOMIURI ONLINE経産相の「ほら、放射能」発言への釈明(要旨)」(2011年9月10日18時03分配信。http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100806-849918/news/20110910-OYT1T00544.htm) 「記者との立っての非公式な懇談を」
 
② 同 「女性を誹謗する発言…田中・沖縄防衛局長」(2011年11月29日13時11分配信。http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111129-OYT1T00319.htm) 「那覇市内で開かれた報道陣との非公式の懇親会で語った」
 
③ 同 「沖縄防衛局長更迭も、女性乱暴に例え暴言」(2011年11月29日配信。http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20090415-254943/news/20111129-OYS1T00704.htm) 「報道を前提としない非公式の懇談」
 
④ 同 「沖縄防衛局長の失言、地元紙報道で公的問題に」(2011年11月30日00時55分配信。http://www.yomiuri.co.jp/feature/20091215-481540/news/20111129-OYT1T01046.htm) 「非公式の懇談会」
 
②~④ゆえ、「報道を前提としない非公式の懇談」とするのはよい。しかし、それならば、1の鉢呂さんのも「報道を前提としない非公式の懇談」でないと、筋が通らない(どちらも発言者は「非公式」(読売社説)だと思っているから)。何の根拠も無く「曖昧」(読売社説)と勝手に判断してはいけない。
 
 
**2011年12月2日追記
読売新聞東京本社版朝刊13版33面に「『オフレコ』問題発言報じる」と題した記事が載っている。琉球新報「記者が懇談の場で田中(聡・前沖縄防衛局長。清高補足)氏にオフレコの撤回を求めなかった」など、詳細が載っている。また、情報法の大家、堀部政男・一橋大学名誉教授の「『今回の(オフレコを破った。清高補足)報道は、発言内容に照らせば難しい判断ではあるが、真相に迫る取材が難しくなるのであれば、国民の“知る権利”を狭めることにつながりかねない』」という、琉球新報記者に批判的ともとれるコメントが載っている。
 
しかし、そもそもは、説明責任がある公務員がオフレコで取材に応じるのが問題だし(機密なら機密と言えばよい)、説明責任を求めるマスメディアが安易にオフレコ取材をしている問題でもある(この点は、琉球新報も同罪)。当ブログでは、琉球新報記者の勇気ある決断に拍手しつつも、伝えるべきことを伝えないことを正当化しているとも取れる読売新聞には反省を求めたい。