今から書きたいことは、Twitterで見た、神奈川新聞記者の柏尾安希子さんの下記のツイートとほぼ同じなので、まずはそのツイートを。2022年6月17日9時30分。
だいたい「政治的」ってなんですかね。反戦、あるいは日本の加害行為など、特に今の自民党保守派に都合が悪い主張に貼られるレッテルにしか思えない。これらの政治権力のおめがねにかなう主張を「中立」と言っている。
— 柏尾安希子(神奈川新聞記者) (@KJvdcYYG7rONyUl) 2022年6月17日
柏尾さんの上記ツイートからたどると、下記の朝日新聞の記事を引用したツイートにたどり着くが、本エントリーでは朝日新聞の記事を取り上げる。朝日新聞デジタル「朝鮮人追悼碑の不許可は『問題なし』 最高裁で群馬県の勝訴確定」(2022年6月19日18時。根尾拓朗記者)
朝日新聞の記事、ならびに上毛新聞「群馬の森追悼碑訴訟で上告を棄却 碑の撤去が焦点に 県『妥当』、原告は憤り」(2022年6月17日11時)
にある写真を見たところ、「記憶 反省 そして友好」ということを、朝鮮語、ならびに英語でも書いてあるものである。これをどう捉えても政治的なものとすることができないというのが、大多数の読者の率直な感想だと信じたい。ところが、朝日新聞の記事によると、
市民団体が開いた追悼式で「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などと述べたのは政治的発言にあたり、碑が中立的な性格を失ったと指摘。碑の存在が抗議活動の原因になり、公園にある施設としてふさわしくないと県が判断したのは正当だと結論づけた
という。
コトバンク「政治的」
https://kotobank.jp/word/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%9A%84-545288 を見ても、「政治」
https://kotobank.jp/word/%E6%94%BF%E6%B2%BB-85844
を見てもよくわからない。「『全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい』」(朝日新聞の記事より)を政治的としたいのだろうが、「記憶 反省 そして友好」と書いてある追悼碑がそうなるというのもよくわからない。
実際の広島市が広島平和都市記念碑を撤去するというのはおそらくないし、また問題になっていないが、仮に広島平和都市記念碑(広島市HPにその写真があるのでアドレスを示す。
https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/faq/9398.html )の近くで「日本は核兵器不拡散条約に加入しろ!」と言うのも政治的になるな、というか、これはもろ政治的である。なぜなら日本国に法的拘束力のある行動を起こさせることを画策しているからである。それに比べて、「『全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい』」(朝日新聞の記事より)を政治的というのは無理がある。
もちろん、群馬の森の朝鮮人追悼碑も、広島平和都市記念碑も、文言を見た限りでは、政治的なものはみじんもない。したがって、今回の群馬の森の朝鮮人追悼碑の方も、追悼式のコメントを過度に評価することなく今まで通りにすべきである。そうでないと、式典で誰も何も言えなくなる。