まずは、筆者がXで読んだ、東ちづる*1の2024年5月7日のポストのリンクを貼る。
「こども食堂」がなぜ必要な社会になってしまったのか?そこを深掘りして、「子ども食堂」が不要な国をめざすことが政治家の責務のはず。推奨している場合じゃないのになあ😮💨
— 東ちづる/HOLLY’S GOLF MARKET /Get in touch (@ChizuruA1) 2024年5月7日
この東のような考え、筆者はX上でよく見ていたので、それほど驚かなかった。
ただ、東の上記ポストをきっかけにこども食堂を調べてみると、こども食堂ネットワークのホームページにアクセスできた(参照2024-05-08)。
上記リンクによると、
「今晩のご飯はボク1人なんだ」
「お母さんがお仕事の日はお弁当を買って食べるの」
そんなとき、こどもが1人でも入れるのが“こども食堂”です。
とのこと。
となると、こども食堂をなくすべき*2とはならないような気がしてきた。
さらに調べてみると、"子ども食堂、私は行っていいの?"News Up.NHK NEWS WEB.2022-10-14.
,(参照2024-05-08)という記事を発見した。
"子ども食堂、私は行っていいの?"によると、
「行くべきではないと言った人たちも、善意なんですよね。『あそこは食べられない人が行くところなんだから、あなたが行ったら必要な人の分を1食食べちゃう。必要としてる人に届かなくなるから行かないことが支援だ』というふうに思っているわけです。
しかし、実は行くことこそが支援なんだと知ってほしい。なぜなら、みんなが子ども食堂に行くことを控えてしまうと「行く人=大変な人」と見られるようになってしまい、むしろ本当に大変な人が行きにくくなる。子ども食堂は、みんなの中に大変な誰かを包み込む、しかもさりげなく包み込む場所なんです」*3
つまり、貧困者でなくても行っていいようなのである。知らなかった。上記引用の「みんなが子ども食堂に行くことを控えてしまうと『行く人=大変な人』と見られるようになってしまい、むしろ本当に大変な人が行きにくくなる」の部分が特に感銘を受けた。ところで湯浅誠と言えばホームレス支援だが、ホームレス支援の炊き出しも、ホームレスでない人も食べていいものかを筆者は考えてしまった。上記引用の理屈だと、食べていいのかもしれないと思った。