清高の ニュースの感想 令和版

題名川柳・内容超一流!

アキバ事件 あらぬ記事がね 多いよな

秋葉原で起こった無差別殺人事件は、われわれを震撼させるものであった。しかし、この事件を扱った記事は、もっとわれわれを震撼させるものであろう。いくつかピックアップしたい。

(1)2008年6月10日読売新聞朝刊「気流」(仙台では12頁)のある投書を引用すると、

「テレビを見ていると、現場でリポートをしている記者のそばで手を振る若者が映った。どういう神経をしているのだろうか。

 人の痛みを自分の痛みとして感じられない人間が増えているのだろうか」

私はテレビを見ていないので言う資格はないが、これ自体はとんでもないことだとは思う。しかし、本当のところは、単に起こったことが呑み込めていなかったんじゃないか?現場で経験もしないくせに(当然のことながら、新聞の投書欄は、読者の経験など求めておらず、都合のいいものを求めている)悪し様に言うことこそが「人の痛みを自分の痛みとして感じられない」というのですよ。

(2)今日の週刊誌の見出しもひどい。

〆F釮瞭蒜篆景皇刊によると、事件現場を黙って撮る事を批判しているものがある(女性セブン、週刊文春)。でも、これはいけないことなのか。犯行現場を記録することが役立つかもしれないからである(証人になった場合を想定。もっとも、被害者の立場を尊重すべきだから、批判されてもやむを得ないとも言えるが)。大概の人間は呆然とその場に立つことぐらいしかできないだろうが、このような人間的な行動の方が批判されるべきではないか(もちろん、この行動は批判されるべきではない)。最善は、被害者の方を助けようとすることだが、全員が個別にやっても無理だろう。何らかの訓練が必要か。どうやら、この見出しのほうが「イヤな感じ」(週刊文春)である

案の定というべきか、ゲームなどの批判が喧しい。一方、派遣業やトヨタ系の自動車車体工場の批判はあまり聞こえてこない。どちらも、これが主原因というわけではないので、ゲームなどの批判は大いに批判されるべきである(ゲームをやる人がすべてこのような犯罪を犯すわけでもないし、派遣社員トヨタ系の労働者すべてがこのような犯罪を犯すわけではないから)。また、後者に比べて、前者の批判はわれわれの福祉にならない。というのは、後者の批判は労働条件の改善につながるかもしれず、建設的であるのに対し、ゲーム批判は、ユーザーの選択肢を減らし、非建設的だからである。このような言論が成り立つのは、派遣業や自動車メーカーの方が、ゲームメーカーに比べて広告費を使っているからなのだろうか。