YOMIURI ONLINE「教諭『親死ぬのは風流』、生徒適応障害で救済申し立て」(2010年7月20日 読売新聞。同日アクセス。http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20100720-OYS1T00161.htm)
によると、「長崎県平戸市沖で昨年4月に起きた巻き網船『第11大栄丸』沈没事故で父親を亡くした同県佐世保市の高校女子生徒(17)が、男性教諭(50歳代)から授業中に暴言(上記YOMIURI ONLINEによると、「『親が死んだことは風流だ。人はいつ死ぬかわからん』」。清高注)を受けて適応障害になったとし、同県弁護士会人権擁護委員会に人権救済を申し立てていた」という。なお、その教諭は、「『人の死のはかなさにまつわる発言をした』」が、「授業での『暴言』は否定しているという」(以下も、カギカッコ内は、断りのない限り、上記YOMIURI ONLINEからの引用)。
まず、「風流」の語を、広辞苑(第4版。岩波書店。1991年)で調べてみると、
「~安紊琉簓?聖人が後世に残し伝えたよい流儀」、「△澆笋咾笋なこと。俗でないこと」、「美しく飾ること。意匠をこらすこと」、ぁ岼疉?篌屬両紊覆匹鵬屬覆匹鮠?辰燭發痢2敞?丙遒衒」、ァ崙鐱楫歿修琉譟廖↓Α嵒?韻事(風流な趣のあるあそび。自然を楽しみ、詩歌を作って楽しむこと)の略」
とある。
教諭の使い方は間違っている。もっとも、別の言葉を使おうとしたら、この言葉が出てしまったのかもしれない。、また、言わんとしたことは、「『人はいつ死ぬかわからん』」で、慰める気持ちがあったのかもしれない。しかし、適応障害になったのは問題だし、前段階でも何かあったのかもしれない。
生徒は、その後、「教諭に『具合が悪くなるのはおれのせいか』などと詰め寄られた」という。教諭に謝罪の気持ちはあったのかもしれないが、傷口に塩を塗る結果になってしまったようだ。
おそらく、生徒と教諭は、うまくいっていなかったのだろうな。