今日の読売新聞の1面は「海水注入 中断なかった」。ただ、自民党ヨイショのこの新聞、政府と東京電力が悪いということにしたいようだ。
例えば、「情報公開手法に不信募る」(1面)、「調査のずさんさと、公開された情報に対する不信感」(同)、「政治主導の危うさ」(3面)、「政府の危機意識はなお低い」(同)、「国際的にも海水の注入継続が明るみに出たタイミングは、最悪」(同)、「政府の対応に不信の目を向ける国際世論をさらに硬化」(同)、その他。
しかし、それなら、一切訂正は不可ということなのだろうか? 正しい情報と確証を得た時点で、間違った情報を訂正するのは、当たり前ではないだろうか? この問題に対する批判は、やりすぎると、訂正へのインセンティブを削ぎ、国民に正確な情報が伝わらなくなる可能性が高いと思う。読売新聞も、野党も、政府も、安易な批判を慎むべきである。
この問題よりも重要なのは、海水注入以前に、すでにメルトダウンし、水素爆発が発生したことではないのか? それに比べると、海水注入の有無などは、極めて些細なはずである。